不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

カンタベリー物語 船長の話/チョーサー

船長の話ここに始まる。

サン・ドニに住んでいた貿易商人は金持ちで、ゆえに懸命な人だと思われていた。彼の妻は美しい人で社交好き、お祭り騒ぎが好きな性格だった。

この貿易商人の客人に、三十歳頃の修道僧ジョン殿がいた。彼は顔が綺麗で、貿易商人と同じ村の出であり、仲が良かった。修道僧は自分は貿易商人の親戚だと言い、商人の方もそう思っていた。そして兄弟の契りすら交わしたのである。ジョンはまた大変気前が良く、貿易商人の家の召使にも物を与えたので、家の者皆から好かれていた。

さてある時、貿易商人の家にジョンが来ている日の朝、貿易商人は会計事務室で仕事をしていて、彼の妻とジョン殿が庭でばったり出くわした、という機会があった。ここで妻はジョンに打ち明ける。亭主のせいで楽しくないと。出奔すら考えているという彼女をジョンは宥め、相談に乗ると言う。二人は、愛情と信頼からお互いこの相談の内容は秘密にすることを誓い合い、接吻して、なぜか愛情の告白のようなことまでする。

妻は、夫がケチだと言う。そして、夫の名誉――勇敢で賢く、金持ちで、気前が良く、妻に従順、寝床では新鮮――を守るために、次の日曜までに百フランが入用だ、だから貸してくれとジョンに頼む。御礼もすると言う。ジョンは、夫が予定通りフランドルに旅立ったら、その後で百フランを持って来ると約束する。

ジョンと別れた妻は会計事務室に向かい、まだ籠っている夫に、客のジョンを朝食でm渡しているのは変だから早く出て来るよう話しかける。夫は、仕事は大事だ(大意)、フランドルに明日の夜明けに出かけて行ってできるだけ早く帰って来る、留守は任せたが衣服・食料・財布の銀貨共に十分なものが家にはある、と告げて、食事のために部屋から出て来る。

食事後、ジョンは深刻な顔で、貿易商人に、家畜費用のため必要になったため、一週間か二週間、百フランを貸してほしいと頼む。貿易商はこれを快諾、すぐにこっそりとジョンに渡す。ジョンはそれを持って僧院に戻る。翌朝、貿易商はフランドルに向けて旅立ち、特に遊びもせず、現地では商売に明け暮れた。

貿易商が出かけて行った次の日曜、ジョンは貿易商のいないサン・ドニがやって来る。そして一泊して行った。約束通り、ジョンは妻を一晩中仰向けにして両腕に抱く。これは「文字通り実行された」とコメントされており、性交が行われたと解釈できるかどうかよくわからない。当時は誰もがわかった隠喩だったりするのでしょうか? 「彼らは夜通し歓喜のうちに忙しく過ごし」た、という表現もあるので、まあ多分やることはやってますけど。なお、貿易商の家の者で、ジョンを怪しんだ者は一人もいなかった。それまでに散々好かれていたからだ。

さて貿易商はフランドルでの買い物を成功裏に終えて、二万クラウンを支払う誓約をしたうえでご機嫌で帰って来る。妻と楽しく過ごした後、支払い資金を借りるために仕事でパリに行き、ジョンのいる僧院を訪ねる。ジョンに買い物の成功を語ると、ジョンは、自分がお金持ちだったら二万クラウンを貸してあげたのにと言った後、先日借りた百フランは奥さんに返したと言う。そして僧院長のお供で街から出ないといけないのでと、そそくさと面会を切り上げる。

貿易商はパリでの商談も成功裏に終えてご機嫌で自宅に戻る。そして少しして、妻に問いかける。自分が彼に貸した金ことを話すと少し機嫌が悪かった*1、ジョンが返済したのであればそれを自分に報告すべきであったと。これに妻はジョンに怒り出す。自分にジョンが百フランを貸してくれたものとばかり思っていた、まさか自分の亭主からの借金だったとはと。そしてそのお金は、夫の名誉のために、自分の着物に使った、浪費したのではないと強弁する。夫の名誉ってそういう意味だったのかよ! いや前口上的な部分で船長がそんなこと言ってたけどさあ。そして、ささもういいでしょ、お許しくださいね、こっちを向いて、と軽いノリで話を流そうとする。

その様子を見て、貿易商は為す術がないのを見て取った。彼は、二度とこんなに気前よく振舞ってはいけないと妻に注意するのがせいぜいであった。

なかなか面白い話だった。現代小説なら、修道僧はもう少し状況隠蔽の工夫をするだろうが、彼もまたそれをするほど悪人ではないことも示している。不貞はあったが、後味はなかなか良い。終始平和で何よりです。

地の文で、修道僧ジョンはほぼ言い関して「ジョン殿」「ジョン師」と表記される。皮肉が込められていると見て間違いあるまい。また、貿易商人が先物取引をやっているような描写もある。中世とはいえさすがに商人の業務内容それ自体は、今とあまり変わらないのかもしれない。

船長と尼僧院長に対する宿の主人の愉快な言葉を見よ。

宿の主人はうまい話だと誉め、船長のために祈り、修道僧(ジョン)のことは、夫も妻も愚弄したとして呪う。そして次の話者を求め、慇懃に尼僧院長を指名する。尼僧院長は快諾する。

*1:この直前の貿易商とジョンの会話にそのような描写は一切ない。描写がないことは起きなかったことだ、という発想が中世人チョーサーにはないのかもしれない。或いは、もっと深刻な何かを貿易商が疑っていて、そのため彼が能動的に嘘を付いているのか。