不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

カンタベリー物語 尼僧院長の話/チョーサー

尼僧院長の話の序

 

韻文調の文章が始まる。尼僧院長の話はずっとそうだが、物語に入っていない序の段階でも既にこれで、彼女の話が地の文になっている。登場人物としてのチョーサーの出番はない。

尼僧院長は主を讃す。イエス・キリストの名は出さないが、疑いなく彼のことを崇めている。主のことを「汝」と呼び掛けている。そして言う。イエス・キリストと、その母マリア*1を賞賛する話を物語ると言う。そして「歌か詩歌か?」というぐらいに、キリストとマリアをひとくさり賞賛する。

尼僧院長の物語ここに始まる。

舞台はキリスト教徒の住むアジアの大きな町である。ユダヤ人がある区域に住んでいて、君主の保護を受けていた。ユダヤ人はそこで、キリストやその信者たちのひどく嫌う汚い高利や、厭うべき利得を得ていた。

その町にはキリスト教徒の小さな学校もあった。小さな子供たちが幼年時代に学ぶような歌や読み書きが教えられていた。ある寡婦も七歳の小さな子供を学校に通わせていた。子はマリアの像を見たらアヴェ・マリアを歌うほど、寡婦はマリアを崇め敬うよう教育していた。子供も素直にそれに従っていた。

ある日、ラテン語で聖歌《救い主のやさしき御母》が歌われている*2のを聞いた。最初の歌詞を諳んじた子供は、年長の子に、歌詞を説明してくれと頼む。*3その結果、歌がマリアを称えるものだと知ることができた。それから毎日、彼は友達による、帰る道中でのこっそりした指導の元*4、この歌をすっかり諳んじ、道すがら歌うようになった。

さてこの少年は、ユダヤ人街を歩いている時もこの歌を歌った。ユダヤ人たち*5はこの歌を憎み、この少年を地上から追い払うことに決める。そして少年を捕まえて、喉を搔き切って便所の穴の中に投げ捨てた。いきなり凄惨な展開になって胸が潰れる思いだ。ユダヤ人に対する憎悪と偏見の全開にもうんざりです。

さて息子が帰って来ないので、母親は町中を探し回る。ユダヤ人街にも行ったが犯人である彼らは「知らない」と返す。しかし、母親はたまたま*6息子が投げ込まれた穴の傍で息子に向かって叫んだ。すると穴の中から《救い主のやさしき御母》の歌声が流れて来て、哀れな少年の遺体は発見された。町の長官も呼ばれて、かかわったユダヤ人は皆逮捕された*7。少年の遺体は僧院に運ばれたが、その間ずっと歌を歌っていた。後には長い行列が続いた。僧院で棺に安置された遺体は、母親がその前で失神するなどしたが、それでもなおミサの間中*8歌を歌っていた。僧院長は少年に、喉が搔き切られているのに何故歌えるのかと厳粛に質問した。すると、少年は、自分が死のうとしていた時にマリア様がおいでになり、この讃美歌を死に際に歌うよう言いつけられ、舌の上に種子を一粒置かれていった、この粒が取り払われるときにマリア様が自分を受け取りに来られる、と答える。修道院長が彼の下から種子を取り払うと、少年は静かに息絶えた。人々はこの悲劇に涙した。そしてマリアを誉め称え、この少年を大理石の墓に埋めたのであった。

尼僧院長は、最後に12世紀にユダヤ人に殺され国中を巻き込む大騒動になった、リンカーンの聖ヒューに触れて、話の中の少年もヒューと同じように虐殺されたのだとコメントする。

キリスト教邪教だとは決して思わないが、この尼僧院長が信じている宗教は邪教であろう。ここで称えられている「イエス・キリスト」や「マリア」を騙るものは、肝心要の惨劇を止める能力を持たない、または持っていても発揮しなかった上に、死体が歌を歌うというクッソしょぼい奇跡で、この世を玩具にしているようにしか見えない。得られる教訓も、「マリアのマリアによるマリアのための奇跡がある」だけ。この「マリア」は邪神か悪魔に他ならない。こんなもんをありがたがる人間はどうかしている。尼僧院長、お前のことだよ。

総評等

尼僧院長は人間のクズ。語られる奇蹟が「死体が歌を歌う」だけでしょっぱいのは、神に現世利益を求めるなということと理解すればまあまだ納得できなくはない。しかし、ユダヤ人に対するこの強烈な偏見と憎悪に弁解の余地はないです。同時代ではどうだったのだろうか。

ということで、また悲惨な話だった。中世人や、敬虔なキリスト教徒にとっては、違うのだろうか。

*1:「かの白き百合の花」と表現される

*2:中世ゆえ、そもそも聖歌は所与の前提でラテン語である。尼僧院長の文章も「ラテン語で聖歌が歌われていた」ではなく、「聖歌が歌われていた。子供にはラテン語はわからなかったが~」といった表現を取っている。非ラテン語話者が聖歌を聞いてわからなかったために、たまたまたそう書かれて、私は「そうかこの時期は聖歌は必ずラテン語だから、現代と異なって、わざわざ書かないんだよな」と思い至れたというわけ。常識はわざわざ書かれないことが多い。

*3:何度も膝をついて頼んだと記されている。歌詞ぐらい教えてやれやと思うが、彼いじめにでも会っていたのだろうか。それとも、こういうのはなかなか教えない常識が当時はあったのだろうか。

*4:苛められてはいなさそうである。

*5:「われら人類の初めての敵、かの悪魔」とまで書かれていて、現代では完全にアウト。そして、中世で彼らがいかに生きづらかったろうと、凄く同情してしまう。

*6:尼僧院長は、イエス様がそのお恵みから、その場で声を上げさせるよう母親の心にふと思いつかせられたのでした、と、イエスの恵みであるかのように言う。じゃあイエス様は、なんぜユダヤ人が子供を殺害するのを止めなかったんですかね? ユダヤ人街を歌いながら歩くのを止めなかったんですかね? ユダヤ人を邪悪なまま放置しているのは何故なんですかね?

*7:後に拷問にかけられ、荒馬に引かれ、吊るし首にされた。

*8:葬送のミサと思われる。