不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

カンタベリー物語 弁護士の物語/チョーサー

宿の主人が一団の者に与えた言葉

宿の主人の知識によると、時は4月18日午前10時(時間は太陽の位置からの推定)。彼は一団を振り返って、時は間断なく流れていくので無駄にできないとして、弁護士を話し手に指名する。弁護士はこれを快く受諾する。

直前の(未完とはいえ)料理人の話との関連性は一切示されない。時間も午前10時である。ということで、解説によれば、弁護士の物語は翌日最初の話だろうと推定されている。妥当だと思います。

そして、粉屋・家扶・料理人のときと異なって、宿の主人が弁護士相手には、下にも置かぬ丁寧な対応をしている。

「弁護士様」と宿の主人は言いました。「あなたの祝福を願って、一つ約束通りにお話をしてください。あなた様は、この度、わたくしの指図 に従うことにあなたの気高いお心からご同意下さいました。さ、あなたのお約束を果たして下さい。そうすれ ばあなたの義務だけは果たされたことになります」

粉屋・家扶・料理人にはあんなに砕けた態度を取っていたのに、お前誰だ、と言いたくなるほどの豹変ぶりである。弁護士はそれほどの上流階級ということなのだろうか。今でも弁護士相手には、誰もが(弁護士同士でも)先生先生と連呼することに思いをはせました。

さてこの要請を快諾する弁護士は、契約を破るのは望まない、約束は負債だ、約束は守ると、にこやかにではあるが実に法律家らしい答えを返す。ただ自分は値打ちのある話を知らないと謙遜する。そしてチョーサーには韻の技術に長けてはいないようだが様々な物語を知っていると、唐突にチョーサーを褒め始める。そして、チョーサーの著作2作を、かなりの字数を使って説明する。ダイレクトマーケティングですなー。そして弁護士は、韻文はチョーサーに任せて、散文で物語を始めるとする。だが『カンタベリー物語』は、ここも含めてほぼ全て韻文なのであった。

弁護士の物語の序

弁護士の物語は、ここから韻文色が訳文上でも強くなる。本人が前のパートで、自分は散文で語ると明言しているのだから、これは弁護士が散文で語った内容をチョーサーが韻文に仕立て直したということであろう。弁護士にはそこそこ程度にしか評価させなかった韻文について、実際にはチョーサーは自信満々だったのであろう。

ここで弁護士は、貧乏は大変だぞ(大意)と話し始める。生活は苦しいし、苦しいのをキリストが助けてくれないとか言い出すし、尊敬も得られない。それに比べて裕福な貿易省は幸福である。しかも各国の情勢に通じ様々なことを知っている。弁護士は、彼らがいなければこれから語る話も知らなかっただろうと言う。

衰退国の住民でおまけに氷河期世代の人間にとっては、喧嘩売ってんのかという内容である。でもこれはチョーサーの風刺かもしれない。

弁護士の物語ここに始まる。

イスラム教徒であるシリア大公は、ローマの皇帝*1の娘コンスタンスが美女にして才媛であると聞き及び、彼女を手に入れなければ死ぬなどと言い始めて、外交交渉の結果、国ごと洗礼を受けて姫と結婚する運びになった。そしてコンスタンスは供の者と船で出航した。出発にあたり、姫は悲愴な決意を述べる。弁護士は神や皇帝に文句を言う。面白いのは皇帝に対する文句で、出航の時期の設定に関して「もっといい占星学師はいなかったのか」と詰る。現代では「何言ってんだコイツ」ものであるが、14世紀においては真っ当な批判だったはずである。興味深い。一方シリアでは、大公が先例に合わせて生贄の儀式を廃止しようとしていた。大公の母は大臣たちと諮り、先例を受け容れるふりをして後で血の雨を降らせることを決める。そして彼女は息子の大公に、先ほど改宗したと嘘を付き、以前からキリスト教に改宗したかったとこれまた嘘を付く。喜ぶ息子に口づけをして、母は家路につく。

第二部以降もずっとそうだが、弁護士は自らが語った登場人物の先ほどの心情や行動に対して、聖書や古代の歴史的挿話を引いて、歌の詠唱よろしく感想を付随していく。このため弁護士の物語は、ストーリー自体の内容に比して字数が大幅に増えており、かなり叙事詩的な色合いを帯びている。『カンタベリー物語』でこういうのはこれが初めてです。なかなか面白い。

内容については、イスラムへの偏見がこれでもかというほど強調されていてびっくりします。生贄の儀式があると思われていたのかしら。この頃、ヨーロッパ世界は既に何度も十字軍を経験しているはずなのだが。あと気になっているのは、幕切れの大公の母がどういう気分であったかである。欣喜雀躍する息子を前に、彼女は何を思ったか。まあ権力闘争を前に実子など屁でもない、という権力者は歴史上とても多いだけに、何も感じてはいないかもしれない。ただチョーサーがそういう人間を自分の物語に用意したかというと、どうなのだろう。

第二部これに続く。

コンスタンス姫一行は海路でシリアに到着した。大公の母はコンスタンスに、自分の娘であるかのように接し、やがて大公も出御し、キリスト教徒たちも出席して華々しい宴がおこなわれた。そして宴の最中に、大公とキリスト教徒たち――ローマからの随員はもちろん、大公の意を受けて洗礼を受けた現地の人も含む――は残らず惨殺される。ただ一人、コンスタンス姫だけは殺されずに、舵もない船に乗せられて、いくばくかの宝物、食べ物、衣類と共に、海に送り返されたのだ。しかし彼女は神の思し召しか知らず、三年間漂流して、異教徒の地である北イングランドのノーサンバランド*2に漂着する。近くの城の城代にコンスタンスは保護されるが、自らの素性を決して明かそうとはしなかった。コンスタンスは長い間そこに留まり、熱心に祈りを続けたので、現地の人は彼女に感化され、城代の妻をはじめキリスト教の信者が増えていった。

やがて、ある騎士が、コンスタンスに言い寄ったが撥ねつけられたのを逆恨みし、城代の妻を殺害してその罪をコンスタンスに擦り付けてくる。城代の主(つまり正式な城主)アラ王の前で裁きにかけられるコンスタンスであったが、奇跡が起きて冤罪は晴れた。そしてコンスタンスはアラ王と結婚する。しかしアラ王の母ドネギルドは、息子がコンスタンスと結婚したことを恥と捉えていた。

やがてコンスタンスは男子を生む。出産時にアラ王は出払っていた。子の身体は健康そのものであったが、ドネギルドはそれをアラ王に知らせる手紙を途中で手に入れて改ざんし、コンスタンスが悪魔を生んだとアラ王に知らせることに成功する。そして、アラ王は悲しみながらも妻と子を気遣う手紙を出すが、ドネギルドはこれもまた書き換えて、コンスタンスと幼児を船に乗せて海に流すようノーサンバランドの城代に命じる内容にしてしまう。城代は嘆きながらもこの命令書に従い、コンスタンスとその息子を海に流してしまうのだった。

というわけで、舞台がイングランドになりました。同じ異教徒の地なのに、シリアとの扱いの差は何だ。これだから現地人の書いた現地が出て来る国際冒険譚はダメなんだよ!(戦中期に書かれた日本の子供向け冒険小説を脳裏に浮かべながら)

姫は海流頼みでシリア→ギリシア→モロッコを経由し、イングランド北部北海側のノーサンバランドに漂着する。めちゃくちゃなルートで無理が過ぎるが、キリスト教圏以外の地理関係やを当時の人がいかほど認識していたかは甚だ疑問なので仕方がないのかもしれない。そしてこれなら、物語をイングランドに持ってこれますからね。

コンスタンスに城代の妻殺しの濡れ衣を着せるため、騎士は、凶器をコンスタンスの傍に置いておくというトリックを弄する。今や誰でも思いつく初歩的手法ではあるものの、これは紛れもなくトリックです。14世紀の書物にこれが記載されている事実は、ミステリ・ファンとしては痺れるものがあります。現代人が中世を舞台に書いた小説ではなく。中世人が中世を舞台に書いた小説にこういうことが書かれている事実! 冤罪を晴らすのが神の奇跡なのはミステリ・ファンとしてはガッカリなのが残念です。というか、イングランドで奇蹟は起こすが、シリアでは大量虐殺を静観した神って、本当に神なんですかね? シリアにいるキリスト教徒全員の命より、コンスタンス一匹の命が重いの? 神を試すなと言われそうだが、そんな神要る? 崇拝に値する?

そして、こっちでも首長の母親が諸悪の根源なのかよ! この物語を作った誰かが母親に遺恨があったとしか思えない。そしてこちらの方が、シリアの大公の母よりも遥かに陰湿です。ただこれは、シリアでの事物よりもイングランドの事物の方を強調して重きを置きたいがために、解像度を上げただけのような気もします。しっかし本当に胸糞。情報伝達をダブルライン化していなかったり、命令確認手段が用意されていなかったり、母親を信用してしまったりする落ち度はあれど、それでも胸糞。

興味深かったのは以下の一文です。

結婚した妻たちはまことに聖なるものでありますが、指輪をもらって結婚した夫の数々の快楽の行いにも、やむをえぬこととて夜じっと耐えなければなりません。

性行為に対するこの皮相な見方! 14世紀においても、これが一般的であったかは、『カンタベリー物語』の他のパートを読む限り、結論は明らかのように思います。上流階級ではこういうのが普遍的だったのかもしれない。あるいは、コンスタンスはアラ王と結婚なんかしたくなかったことを示唆しているのかもしれません。

第三部これに続く。

城に戻ってきたアラ王は、妻と子がどこにいるか尋ねる。城代の説明等により全ては明らかとなり、王は母を殺害した。そして昼も夜も妻子のことを悲しみ続けるのだった。一方コンスタンスと息子は5年間漂流する。途中異教徒の支配地に船が一時打ち上げられて、現地の城主の執事がコンスタンスを愛人にしようとするが、コンスタンスが抵抗したので彼は海に落下し溺れるなどした。結局彼らは、ジブラルタルとセウタの間を通過し*3、皇帝の命でシリアを討伐した帰路にいる元老の船に拾われる。元老はコンスタンスと息子を保護するが、彼女が皇帝の娘であることに気が付かない。ローマに戻った元老は、コンスタンスと息子の世話を妻に託す。この元老の妻はコンスタンスの伯母だったが彼女もコンスタンスに気付かない。やがて、讀罪のためアラ王がローマ教皇の元に巡礼にやって来る。元老はアラ王の宿所で彼を歓待する。その歓待の席には、コンスタンスの息子(つまりアラ王の息子)を連れて行く。息子は母の言いつけ通り、アラ王の顔をずっと見ていた。アラ王はこの男子を不思議に思う。なぜならコンスタンスに顔がそっくりだからだ。元老に話を聞き、この子の母はコンスタンスかもしれないと、彼は後日、元老の屋敷を訪ねる。アラ王とコンスタンスは再会するが、コンスタンスはアラ王の命令で海に流されたと思っているので、悲しみのあまり立てず、アラ王の目の前で二度も失神する。が、アラ王は彼女に何とか事実を説明することに成功し、幸福を取り戻す。

この後、コンスタンスは、アラ王に頼み、自分の父である皇帝に自分のことを知らせないよう願う。息子マウリスは、アラ王と皇帝の面会の場に同席し、皇帝はマウリスの会を見てコンスタンスのことを思う。そしてアラ王は、皇帝との宴会を用意し、妻と共に出迎えに行く。コンスタンスは父である皇帝と再会し、自ら名乗る*4。大団円である。後にマウリスは教皇により皇帝となった。アラ王はコンスタンスと共に帰国するが1年後に亡くなる。夫を失って深く悲しんだコンスタンスはローマにもどって来る。親しい友人は皆生きていて、父親の皇帝も生きていた。コンスタンスは嬉し泣きする。

繰り返しますが大団円です。波乱万丈の極みだった第二部に比べると劇性はだいぶ落ちます。面白さも正直だいぶ落ちます。でも特にコンスタンスの言動に、本音が見え隠れする局面が多いように感じられました。アラ王と幸福に暮らしたとは書かれているものの、実際にはずっとローマで暮らしたかったのだろうなと。そして本当に、時代設定がめちゃくちゃですね。教皇ローマ皇帝を戴冠するようになったのにローマに皇帝が常駐していて、なおかつイングランドが異教徒、シリアにはイスラム教徒かあ。

弁護士の物語のエピローグ

宿の主人は鐙の上に立って、弁護士の話が有益な話だったと言う。そして次の話者に司祭を指名し、巡礼団には司祭がこれから説教をなさると宣う。だがそこに船長が横槍を入れ、自分が愉しい話をすると言う。

船長の横槍への反応は誰のものであれ記録されていない。彼が一方的に宣言してこのパートは終わってしまう。じゃあ次は船長の話なのかというと、違う。『カンタベリー物語』は各エピソードの順番にも議論のある小説であり、実際には次は船長の話だったのかもしれない。しかし少なくとも、私が読んでいる岩波文庫版では、次はバースの女房の話なのである。

総評等

コンスタンスが中心にいる話なのに、コンスタンスの人格の印象がとても薄い。自主性もあまり感じられない。時々本音が漏れ見える程度。キリスト教に敬虔なのはわかりますし、異教徒に対する偏見に満ちているわけでもないが、生身の人間という気がしないんですよねえ。完全に物語のための道具。この時代に女性はそう描写されるものなんだよ、というわけでもない。シリア対応の母親や、アラ王の母ドネギルトは、悪役ながら活き活きしています。

物語にとって都合の良い奇跡しか起きない。シリアでは災難に遭っているし、漂流期間が計8年と長いため、コンスタンスが特別愛されている気もしない。イングランド人が満足すように物語を盛り上げるための奇跡ばかりだ。あとイングランド人の扱いが、元は異教徒なのに良い。これまた都合が良い。

*1:ローマに皇帝がいて、シリアを支配しているのがイスラム、というタイミングが歴史上にあったか疑わしい。神聖でもローマでも帝国でもない国家の皇帝がローマにいたタイミングを狙えば何とか、というところだろうが、そういう人いたんですかね。姫も一緒なのだから皇帝はローマに住んでいないといけないし。

*2:この地方がキリスト教化していない時期、イスラム教は生まれてすらいないのではなかったか。時代考証上おかしいのは、皇帝がいるというローマではなく、イスラム教国のシリアだったのだった。

*3:ということは北海から地中海に流れたということになる。

*4:この際の名乗りが少し嫌味ったらしい。「塩の辛き海に、一人で押しやられ、死ぬべき運命を与えられたのはこのわたくしでございます」そりゃまあ皇帝の命令でシリアに嫁がされて大変なことになったのだから、これぐらい言うわな。