不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

カンタベリー物語 バースの女房の話/チョーサー

今回から岩波文庫版では中巻です。

この女房さんのパートは長い上に、他のパートと決定的に異なる点がある。語り手自身の話である「序」が濃いのだ。その濃さはやはり、バースの女房アリス―ン自身に起因する。彼女は、女傑です。そうとしか言いようのない強烈なキャラクターである。登場人物がこれほどの活力をもって迫ってくることは、これまでの『カンタベリー物語』にはなかった。今後、彼女に匹敵あるいは凌駕する強者は登場するのか?

バースの女房の話の序

物語に入る前に、これまででダントツで最長の自分語りがなされる。複数回にわたる結婚の正当化、処女の神聖視の論破*1、夫の操縦方法、夫たちとのエピソード。そして最後になぜか、次回と次々回に出番がある召喚吏と托鉢僧がいがみ合う。

以下、アリス―ンの話の概要を書きますが、実際には、聖書を中心とした比喩が大量に入るので、概要と実際の文章とでは、受ける印象がかなり異なります。

バースの女房アリス―ンは五回結婚している。複数回結婚することをキリストは禁じていない*2し、神も産めよ増やせよと言っているではないか。ソロモン王をはじめ複数の妻がいた人間はいるし、聖人たちも結婚を悪いことだと言ってはいない。処女であれと忠告してくる人はいるが、それは忠告であって命令ではない。アリス―ン自身は、自分が処女ではないことを誇ることはしないが、神はその人に合ったことをされるわけで、引け目にも感じていないし、処女でいるべきであったとも思わない。処女は道徳的完全無欠なので、キリスト様はそれを望む人間にそうお話になったのだとも言う。

生殖器にはちゃんと機能があるのだから、使うことは義務ではないが、使いたい人は使うべきだ。アリス―ンは処女を羨ましいとは思わない。(恐らくセックスのことを指して)夫の負債はちゃんと払うべきだし、アリス―ンは喜んで夫の肉体を虐待する。夫の肉体を支配するのはアリス―ンである。夫は妻を愛するのである。

ここまでアリス―ンは一気に話す。一応「」付ではあるが、ここまで地の文がない。そしてやっと地の文と他の人間の台詞が登場する。免罪符売りが茶々を入れて来るのだ。自分は結婚するところだったが、そんなことなら結婚しなくて良かったと。

これに対してアリス―ンは、まだ話は終わっていない(大意)とビールの比喩を使って反発する。免罪符売りは恐らく苦笑交じりに、若い自分たちに姐さんの話をしてくれと言う。まあ実質的には引き下がってますね。これを受けて、アリス―ンは自分の体験をまたぞろ長々と始める。

アリス―ンの夫は五人中三人が、年寄でお金持ちの良い人だった。彼らは夜の生活があまりできなかった。アリス―ンは、夜の労働をするために彼らに何をしたかを思い出すと笑えると言う。そしてよく飼い慣らしたと主張する。がみがみ小言を言うことで。

その手法は、嘘を言うことだった。アリス―ンは、自分が彼らの浮気を疑っていたり、夫が妻であるアリス―ンを軽んじしたりするかのような当てこすり、小言、叱責を繰り広げて、それを通して夫をコントロールするのだ。具体的なこの小言が何ページにもわたって記載されている。なかなか強烈です。しかも、夫が酔ったときに喋ったことを非難する風を装った小言もある。実際には夫はそんなことは言っていないのだが、何せ酔った時だと言われているので夫自身は真贋が判断できない。加えて、アイリーンは、妹や家の徒弟などと口裏を合わせている。夫は騙されてしまいますよね。いや酷い奥さんだと思います。しかしアリス―ン曰く、夫も嬉しそうだったらしい。自分が夫を愛していているから嫉妬していると思わせた、ということのようだ。そして嘘、空泣き、口では口で言い返し、ベッドで酷い目に遭わせる等の手法を駆使して、夫婦間の争いを断念した方が良さそうだと夫に思わせるように仕向けた。もちろんおべっかも使う。男の方が女よりも分別があるとか、本当に口八丁。

自分の手管を詳細に述べた後に、アリス―ンは四番目の夫について語る。彼は情婦を囲う道楽者だった。そのことを腹を立てたアリス―ンは、彼に仕返しをしたという。だがその内容が何かはちょっとよくわからなかった。

五番目の夫は、彼女にとっては最も残酷な痴れ者で、アリス―ンの心に取り入る術をよく心得ていたという。オックスフォードの学僧だったという。彼はアリス―ンの親友アリス*3の家に下宿していたという。そしてアリス―ンは、この夫を愛のために選んだようだ。

四旬節の頃、アリス―ンは、アリスとジャンキン僧(ん?)と共に野原に出かけて、アリス―ンはジャンキンと大いにいちゃついてしまった。そこで、自分がやもめになったら結婚してくれるかとジャンキン僧に聞く。そのような話の流れに持って行く際、彼女は、自分が彼女を誘惑したのだと男に信じ込ませるよう、母親から教えられた話術を駆使したようだ。やがて四番目の夫が亡くなり、嘆くアリス―ン。葬儀にはジャンキンも参列した。ときにアリス―ン四十歳、ジャンキン二十歳。月の終わりには、彼らは結婚していた。

わたしは思慮分別などで恋をしたことは一度もありません。いつもわたしはわたしの欲望に従っていました。(中略)彼がわたしを好きな限り、どんなに貧乏だろうと、地位が何だろうとわたしは構いませんでした。

結婚後、彼女は財産を全て五番目の夫にくれてやった。しかし彼女はこれを後悔することになる。彼女が彼の本から一枚ちぎった際に、聴力に問題が出る程、夫が強く殴ってきたからだ。ここから彼女の話はその経緯の説明に移行する。ただし相変わらず脱線が多いので、最初はその説明に移ったことはわかりづらい。

夫は結婚後、故事等を引いて女房の欠点を矯正しようとする。だが人から欠点を指摘されることをアリス―ンは好まない。彼は読書が趣味であり、その中には悪妻のことが書いてある本の読書も含まれていた。良妻の話よりも悪妻の話をより知っていたぐらいだった。アリス―ンは主張する。どんな学者も女性聖人の話以外で女をよく言うことはない。だが女が学者のようにもし物語を書くなら、男の悪行が大量に書かれるはずである。男を持ち上げて(そのために?)女を落とす――などと女性が悪く言われがちなことについての文句を脱線気味に述べた後、アリス―ンは本題に立ち戻り、五番目の夫が本で読んで得た、邪悪な妻の、極端な故事や伝説をたくさん紹介してきたことを語る。おまけに、以下のようなことまで(諺かもしれないが)妻に語る。

「しょっちゅうがみがみ言うような女と一緒にいるよりか、獅子か恐ろしい竜と一緒に住んだ方がましだ」

「同じ部屋の中でがみがみ言う細君と一緒に住むよりか、高い屋根裏部屋に住んだ方がましだ。彼女らはとても邪でひねくれた性だから、夫が愛しているものをいつも嫌うのだ。女は下着を脱ぐとき恥じらいも脱ぎ捨てるのだ」

「美しい女は、純潔でなければ、豚の鼻にはめた金の指輪に等しい」

そらまあ妻がブチ切れないわけがおまへん。現代だと、夫が、結婚は男にとって損だというネットの戯言を得意げに妻に聞かせるようなものですね。『カンタベリー物語』のこちらの方がもっと酷いですが。ええよやったれ、読者の俺が許す。

というわけで、こういった本を読むのを夫が止めないと見て取ったアリス―ンは、読書中の夫の手から本の三枚*4を引きちぎって、夫の頬をげんこつで殴る。夫は炉の中にもんどりうって倒れるので、相当な勢いで殴ったのだと思われます。夫は立ち上がりこちらもげんこつで妻を殴る。妻は床に倒れてこちらは一時動かなくなった。驚いた夫は逃げ出そうとするが、目を醒ましたアリス―ンは跳び上がって「財産を狙って私を殺したのか(大意)」と問い詰める。夫は許しを請い、話し合いを経て、夫が持つ本は全て焼かれた。そしてアリス―ンは家庭の全権(財産の管理も含めて)を握ることになる。夫は、妻が生涯好きに振舞って良いこと、妻の名誉を維持することを約束し、妻は夫の体面を守ることを約束する。以降、夫婦はこれを守り、言い争いなく暮らすようになった。めでたしめでたしといったことろであろうが、五番目の夫に関しては、アリス―ンは少々脇が甘かったように思う。人を見る目がなぜかこの際は曇っている。恋愛で人を選ぶとこうなることもある、ということかしら。

……以上の話を語り終えた後、バースの女房はぬけぬけとこう言い放つ。

さてもし皆さんがお聞き下さいますなら、わたしの話をいたしましょう。

そう、「話」はまだ始まってすらいなかったのである。

召喚吏と托鉢僧の間に取り交わされた言葉

托鉢僧はここで呵々大笑し「これは長い前置きでございますな!」と叫び声でツッコミを入れる。気持ちはわかる。これに召喚吏がなぜか強く反応し、邪魔だ黙れ(大意)と托鉢僧をこき下ろす。

なんだってお前は前置きなんぞと言うんだい。なんだって!

いや企画趣旨からしたら、托鉢僧の言う通りこれまでの話は前置きでしょ? しかし、この引用部分には、チョーサーの創作者としての本音が滲んでいる。作者にしてみれば、バースの女房自身の物語は、本編であるお話と同じく、自らの創作物である。しかも力が入っているのは明白。普通の前置き扱いをしてくれるな、ということなのだろう。

さて托鉢僧は召喚吏の文句を受けて、召喚吏の笑える話をしようと言い出す。すると小官吏は、ではシッティングボーンに着く前に、托鉢僧の笑える話を二つや三つしてお前の心を呻かせると脅す。宿の主人が止めに入り、バースの女房に話をさせよと諭す。バースの女房は、托鉢僧の許しを得られるなら話を続けると言うが、これに対して「結構ですとも」と促したのは宿屋の主人である。

カンタベリー物語』には粉屋v.s.家扶という対立があったが、托鉢僧v.s.召喚吏は更に露骨である。他の人パートにまで出張って来ていがみ合うのだもの。言い争う内容もより直接的で、話の目的が相手を揶揄するためであることを、まだどちらも話していない段階で明言してしまう。新しい対立の形であり、枠物語の有効活用が一歩進んだ印象である。托鉢僧の頭越しに話を進めるよう仕切る宿の主人も可笑しい。もっとも、托鉢僧が身振りで了承した可能性もある。

そして、やっと、本当に、バースの女房の序が終わって、話が始まるのである。

バースの女房の話ここに始まる。

アーサー王の古の頃、この国は妖精に満ち溢れていたが、今やすっかり見ることができなくなった。托鉢僧がありとあらゆる所に祝福を与えながら歩き回っているからだ。おかげで女も安全にあちこち歩ける。

どの茂みにも、あるいはどの樹の下にも、托鉢僧以外に誰も悪霊はおりません。ところで、その托鉢僧が女たちにたいし、辱めることよりほかには何も知らないときておりますから始末が悪い話です。

やっぱり女房さんは托鉢僧にムカついておられる! この妖精云々、托鉢僧云々は、以下に続くアーサー王の騎士の物語とは何の関係もない。この嫌味を言わんがためにわざわざ付け加えた個所なのだろう。「托鉢僧以外に誰も悪霊はおりません」という表現も、暗に托鉢僧は悪霊のようなものだと仄めかしているようで面白い。バースの女房、やっぱりいいキャラしてるわ。

ともあれ、アーサー王の家来に若い騎士がいた。彼は乙女を見て、その処女を力ずくで奪ってしまう。訴えられた彼は、死刑を言い渡されたので、アーサー王に慈悲を乞うた。王は生かすも殺すも思いのままにして良いと、妃に騎士を与える。王妃は、12か月と1日以内に、女性が最も望むものは何かを調べて答えるよう命じる。騎士は答えを得るためあちこちに出かけて様々な人に「女性が何を一番愛するか」を訊く。だが答えは十人十色でバラバラであった。その答えの一部については、バースの女房自身がツッコミを入れていく。特に、「心変りせずに思慮深いものと思われ、一つの目的にじっとしがみついていて、男の人が話してくれることをなんでも暴いたりしないこと」に対しては、「熊手の柄ほどの値打ちも」ないと指摘し、王様の耳は驢馬の耳の、秘密を知っていたのが妻だったバージョンの伝説を紹介して、女性が秘密を隠し通すことはできないとする。

結局、騎士は女性が最も愛するものを知ることができず、失意のうちに家路につく。その途中で彼は、貴婦人の一団が踊っているのを見かけて、ヒントが得られれるかもしれないと近付く。ところがその場所に行き着くと、一団は消えていた。代わりにとても醜い年老いた女が草の上に座っていた。彼女は助けになろうと言う。騎士は婦人が最も望むものは何かと質問し、老婆は、もしそれが騎士にできることならば騎士は自分に対してそれをしなければならないと言った。騎士がきっとそうすると誓うと、女はこれで騎士の命は安全だと言う。騎士は宮廷に戻り、約束通り、王妃の課題に対して回答を示す。

女性たちは愛人に対してはもとより、夫に対しても支配権をもつことを願い、彼の上に君臨することを願っております。

宮廷中の既婚者も未婚者も寡婦も、騎士の言ったことには反対しなかった。そればかりか、騎士には命を助けられる値打ちがあると評価された。ここで年老いた女が立ち上がり、自分が騎士に答えを教えたと言った後で、誓約を持ち出す。つまり、騎士はこの醜い老婆を娶らねばならないのだ。騎士は、全財産と引き換えに自分を自由にできないかと泣きつくが、女はすげなく拒否。妻、夫に愛される人*5でなければ承知できないと主張する。騎士は地獄だと嘆くが、やむを得ないので結婚して妻と共に寝床に行く。宴会などは一切開かれず、王妃との面会の翌日に騎士は女とひっそりと結婚し、昼間はずっと隠れていたようだ。

さて床入れしても、騎士の悲しみは晴れず、寝返りをし、輾転反側する。年老いた醜い妻は笑顔で、妻に対する仕打ちとしてはひどくない?(大意)、直すべきところがあれば直すよ(大意)と問いかける。騎士は「直してだって?」と反応して、もう直すことなんてできはしない、醜い、老いてる、身分も低い、心臓が裂けたらいいのにと嘆く。

ここから妻の長い説教が始まる。夫が態度を改めたら直す術はあると言った上で、「だが」と続けて、気高さは由緒と富裕に由来するものの結局は生き方によってこそ担保されるのだから、今の横柄な態度には何の意味もないと懇々と説く。続いて貧乏については、貧乏は心配事から人を解放する効果もあり、貧乏は何の苦しみも与えないと説く*6。老いについては、老人を敬うべきなのは常識ではないかと説く。醜く年を取っている件については、これは間男される心配がないということだと説くけれど、これについては夫の欲を満足させてあげましょうと言い、以下のような選択を迫る。

死ぬまで醜くて年を取っているけれど、あなたには真実のつつましい妻であって、生涯一度もあなたの気に入らないことのないのと、それとも若くて美しいが、そのためにあなたの家(中略)へ、訪問者がぞろぞろやって来るような機会をつくるのと、いずれか一つをね。

騎士は熟考して、溜息をついた後、その選択を妻に委ねる。妻が夫の支配権を得たのだ。それを騎士も認める。そうすると、妻は両方ともになると宣言する。夫がカーテンを開けると、そこには美しく若々しい女がいた。喜ぶ夫は彼女に千度もキスをする。一方、妻は夫に喜びや楽しみを与えるようなことについて、何でも夫に従った。かくして二人は完全な喜びのうちに生涯を送る。

バースの女房は、最後に、妻たちに対し、優しくて若く床ぶりが初々しい夫と、夫より長い寿命をキリストに願う。妻の指図を受けるのが我慢できないような夫には命を短くしてくれるよう祈る。年寄で怒りっぽい吝嗇家には即時に疫病を見舞うよう願う。いい根性してる!

この物語には、ご都合主義臭、それも物語にとってではなく、バースの女房にとっての都合のよさが感じられます。しかしながら面白いのは確か。説教めいた場面も嫌味がなくて結構楽しく読めてしまう。配偶者を支配したいと願うのは、まあぶっちゃけ夫側にもそういう奴多いだろうし、わかりますとても。そして実際に結婚したこの二人が、どちらか一方の都合でのみ生きていくことにはならなそうなことを書かれているのは、喜ばしいし、これが現実的な「幸福な夫婦生活」なのだろうと思います。……ただし、性犯罪者が幸福な生活を送れるようになって良かったのか、一抹の不満は残ります。殺されないまでも、いてこまされるべきでは?

総評等

バースの女房さんが強烈。序における自分の話はもちろん、話本体においても、結構な割合で自分の意見を開陳しており、語り手に血が通っていることを痛感させます。考え方への賛否はもちろんあるでしょうが、14世紀人だから21世紀人の基準で判断してはいけない、という場面は稀で、21世紀人としてある意味対等に扱えて、共感ないし反発できる*7のは素晴らしいと思います。

なお、彼女は総序の歌にて、耳がどういうわけか遠いことが書かれていた。その伏線が回収されたということになるだろう。

*1:ただし処女そのものは否定していません。処女をありがたがる行為そのものを批判しています。

*2:難じているように読めるエピソードもあるが、アリス―ンは、回数指定はないと主張する。

*3:中公文庫版ではこの親友も「アリス―ン」と翻訳されているが、言語はAlysらしいのでアリスと表記します。

*4:枚数がいつの間にか増えているのは笑いどころ。

*5:愛されるとの条件は回答に入っていないので、結婚して夫は支配できるが、愛されることまでは要求できない気がする。ただこれは21世紀人としての発想なのかもしれない。14世紀に「夫婦は愛し合わなければならない」という強い縛りが所与の前提としてあるならば、女の主張は正しいことになる。

*6:しかも騎士の財産は結婚によっては減っておらず、結婚によって貧乏になったわけではない点には留意したい。

*7:私はほぼほぼ共感側です。