不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

カンタベリー物語 第二の尼僧の物語/チョーサー

序もマリアへの祈りも、どうやら韻文っぽい。

第二の尼僧の物語の序

安逸を悪徳として非難する。快楽の門番、その反対である勤勉(仕事)をもって対抗すべき、安逸は腐敗した無為、破滅の原因ととにかくボロクソ。ここでいう安逸はidlenessのようであり、日本語の「安逸」とは必ずしもマッチングしていないのかもしれない。

マリアへの祈り

尼僧は、処女セシリアの死を語るとして、マリアに祈る。また、自分(わたし)が書くものを読む読者に、自分が上手く書く努力をしないからと非難しないでくれと願い。……この「わたし」は第二の尼僧なのか、チョーサーなのか。前者ならメタレベルがぶれていることになる。

第二の尼僧の物語

かくして、クラシック音楽のファンなら名前を聴いたことがあるであろう聖チェチーリアの物語が始まる。

処女セシリアはローマ貴族の娘で、小さい頃から敬虔なキリスト教徒であった。彼女はヴァレリアンと結婚するが、純潔を保とうとする。初夜において、彼女は夫に、天使が自分を守っており、淫らな行為をされると相手を殺すが、清い愛で自分を導くなら天使はあなたをも愛すだろうと言う。ヴァレリアンは、天使を見せてくれと頼むと共に、セシリアが他の男を愛するなら殺すと返す。セシリアは洗礼を受けるなら天使を見せると言い、ウルバンに会いに行けという。

ヴァレリアンは言いつけ通り、隠れた生者の墓の中でウルバン教皇に会う*1。ウルバンが主イエス・キリストに祈り、セシリアとヴァレリウスのことを願うと、輝く白い衣服をまとった一人の老人が現れる。老人を見たヴァレリウスは倒れるが、老人は彼を起こし、神を信じるか問う。ヴァレリウスが信じると答えると、老人はかき消すように消えた。そしてウルバンはヴァレリウスを洗礼する。

ヴァレリウスの帰宅後、夫妻の前に天使が現れる。天使は薔薇と百合の二つの王冠を彼らにそれぞれ授け、何か望みはあるか訊く。ヴァレリアンは弟ティビュルスにもこの恩寵に預からせたいと願った。ティビュルスがやって来て、辺りに薔薇と百合の花の香りが満ちていることを不思議がる。ヴァレリアンは、ティビュルスが正しい信仰を持てば王冠も見えるようになるだろうと言い、偶像を捨てるように言う。ティビュルスは言われる通り偶像を斥けることを誓う。

ティビュルスはこれから自分はどうすればいいのか尋ね、ヴァレリアンにウルバンの所へ行けと言われる。ティビュルスは、ウルバンがお尋ね者になっていて、彼の仲間だと知られれば自分たちも焼き殺されるだろうと危惧する。セシリアは、人が生きるのがこの世だけならその心配もわかるが我々には天国があると諭す。ティビュルスはウルバンに会って洗礼を受け、毎日決まった時間に天使を見られるようになった。……色々な意味でキマってるな、と思うのは私が異教徒だからかしら。

さてイエスが彼らに様々な奇蹟を行った後、遂に殉教の時が来る。ローマの長官アルマキウスは彼らを捕えて、ジュピターへ生贄を捧げないなら斬首刑に処すことを決めた。だがマクシムスら協力者の助けも得て、セシリアたちは捕まった後も、死刑執行人を含む多くの人に布教し洗礼を施すことに余念がない。

さてヴァレリアンとティビュルスは生贄を捧げよと命じられるが拒否したため、首を落とされる。それを見ていたマクシムスは、彼らの魂が天使に伴われて天に昇っていくのを見たと言い出し、これまた多くの人を改宗したため、むち打ちされて殺された。

セシリアがこの死んだ三人の男を葬った後、遂にアルマキウスは彼女を捕える命令を役人たちに出す。ところが改修済の役人たちはこれに抵抗して泣いた。しょうがないのでアルマキウスは、捕えるのではなく連れて来るよう命令を変更。やって来たセシリアと論戦する。なおセシリアの態度は無礼で、アルマキウスは居丈高だ。どっちもどっちと思うのは私が異教徒だからか? 二人とも、相手の価値観を延々と否定するんですよね。セシリアはここに、自分の価値観を誇る要素も入る。議論は平行線を辿り、アルマキウスは生贄を捧げるか信仰を捨てるかすれば逃げられるぞと、最後の選択をセシリアに迫る。セシリアは断固拒否し、引き続きアルマキウスの権力権威を蔑む。

アルマキウスは、自分への侮辱は何でもないが、神々への侮辱は許せないとする。セシリアはこれを愚かだと言い、偶像を否定する。偶像否定論者が後に聖人として偶像化してるんですがそれはいいのか?

さてアルマキウスは怒り、セシリアを家に連れ戻して風呂釜の中で煮殺すよう命じる。だがどんなに火を焚いても、セシリアの身体は一向に熱くならない。ということで、アルマキウスは視覚を送り、セシリアの首を落とそうとする。だが彼女の首は三度突かれても落ちなかった。四度突くことを禁止する法があったため、刺客は引き上げる。

とはいえ致命傷ではあった。セシリアは三日間苦しんで死んだが、その間も信仰を説くことを止めなかった。彼女はウルバンに、自分が三日間の休息をもらうよう主に願ったのだと明かし、自分が死ぬ前に自分の信徒をウルバンに委ねんがためだったと言う。ウルバンは彼女を手厚く埋葬した。

セシリアの家は聖セシリア教会となり、今でもセシリアに貴い奉仕を行っている。

総評等

聖セシリアの伝承ほぼそのまま。これにあまりツッコミを入れるとキリスト教にツッコミを入れることに近付くのであまりやりたくないです。ただ、聖人が偶像を否定するのを見ると、毎回微妙な気分になるんですよね。

セシリアの毅然とした姿勢は印象的です。でも夫と結婚しても処女を通すのはどうなんだろうと思わないでもない。聖人だから良いという理論なのだろうか。でも聖人指定は死後よね? はたまた、修道女制度がないからしょうがないという理論なのだろうか。

そして相変わらず、敬虔と設定されている宗教人の話はあまり面白くないな。小説として登場人物が生きていないのである。ミステリで敢えて似た読み口な作家を挙げると、天城一かなあ。そしてあっちは、私がミステリに関心があるため、人物が活きていなくても興味深く読める。こっちには関心がないので、つまらないなあという思いから逃れることはできません。

*1:当時キリスト教は地下墓地に隠れ住んでいたということだろうか。