不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

カンタベリー物語 家扶の話/チョーサー

家扶の話の序

粉屋の話は好評であった。しかし元大工である家扶*1にはこれが面白くない。当てこすりだったと思ったのであろう。家扶は、自分が下卑た話をすれば「高慢ちきな粉屋の鼻を明かして仕返しをするぐれえはわけはない」が、自分は年寄であまり冗談を言いたくないとグチグチ演説する。この演説が本当にグチグチしていて、長ったらしく要領を得ないので笑ってしまう。ここは本当に老人っぽいです。

宿屋の主人に「はよ要点を言え、もうグリニッジ*2だぞ(大意)」と急かされて、家扶は、やっぱり粉屋に仕返しする、だから下衆な話をしますとこれまたシャキッとしない繰り言をひとくさり述べた後、こんな話をし始める。

家扶の話ここに始まる。

ケンブリッジの近くにシムキンという粉屋がいた。丸顔で獅子鼻、禿の乱暴者で、穀物や粗粉も平気で盗む常習犯で、横柄家といわれていた。また彼の妻は、司祭が情婦に生ませた女で高慢ちき。そんな二人の間には、二十歳になる娘と、生後半年になる子がいた。妻の父である司祭は、孫娘に財産を引き継がせる気でいる。さてケンブリッジでは、ある学寮の賄い方の体調が悪化して寝込んでいた。シムキンはこれ幸いと、学寮から何度も粉を盗み出していた。学寮長は抗議するがシムキンは知らぬ存ぜぬを通す。一方、その学寮にいる二人の学生ジョンとアランは外出して遊びたい一心で、粉屋から粉を引き取りに行くという名目で外出許可を取って、シムキンの元に馬(学寮長の馬だ)に乗ってやって来た。アホな学生をからかう気分になったシムキンは、隙を見て学生二人の馬を逃がしてしまう。学生たちは慌てて馬を追い、粉を放り出して行ってしまう。シムキンはこれ幸いと一部をちょろまかすのであった。一方、何とか馬を捕まえた学生たちであったが、既に夜も近くなっており、シムキンの家に一夜の宿を乞う。その晩、一家と学生の計5人はご馳走でしたたかに酔い、爆睡した。一家と学生の寝所は近く、妻のベッド近くには赤ん坊が入っている揺り籠が置かれている。

さてここで、アランとジョンは、日中の災難を精算すべきとの無茶な発想に至った。まずアランは、粉屋の娘のベッドに忍び込んで朝までずっと姦ってしまう*3。一方、ジョンもアランを羨ましく感じて一計を案じ、揺り籠を密かに自分のベッドの近くに持ってくる。やがてトイレのために目を醒ました粉屋の女房は、戻ってくる際に、揺り籠を目印にした結果、自分のベッドだと思い込んでジョンのベッドに潜り込んでしまう。そしてジョンは粉屋の細君を一睡もせずに突いた*4。そして朝。アランは娘のベッドを後にしてジョンを起こしに行く。だが恐らく揺り籠のせいで、彼はシムキンのベッドに行ってしまう。相手がジョンだと思い込んで、娘と寝たことを喋ってしまったものだから、シムキンは激怒、取っ組み合いの喧嘩になった。結果、シムキンは寝ていた細君の上に倒れてしまう。目覚めて大騒ぎする細君。横にいたジョンも飛び起きてベッドから抜け出す。細君も起き上がって棒切れを手に、学生が着けるナイトキャップの反射光だと思ったものを殴打する。だがその光は、彼女の亭主、粉屋の禿げ頭であった。痛がる粉屋を尻目に、学生二人はまんまと逃げ出すのだった。

というわけで、ファルスである。コントのような場面における登場人物の動きは、粉屋の話よりも更にドタバタしていて、(シチュエーションさえ代えれば)現代でやってもそこそこ笑いが取れそうだ。語り手の家扶は初手からシムキンをぼろくそに描写しており、粉屋へ仕返しする気満々で笑います。粉屋への意趣返しという性格が全編にわたって非常に強い話だといえそうです。一応、粉屋は盗みも良くする性悪な男だとされているため、道徳上のエクスキューズも付けられています。ただ、彼の妻を表現する際にも棘があるのは引っ掛かりました。

粉屋の細君は出が少々うすよごれていたんで、溝の水みたいにぷんとにおいが鼻につきました。

聖職者の私生児ということでこう書いたのでしょう。でもこれはやり過ぎじゃない?  当時の常識に照らせばある程度はしょうがないのかもしれません。それでも、においがすると言うのは酷い。溝と訳されていますが要はドブ臭えと言ってますよねこれ。そう考えると、次世紀末から活躍し始めたチェザーレ・ボルジアがああいう性格になったのも、偏見に晒されて性格が歪んだ側面がありそうです。「お前の父ちゃん聖職者だよな(笑)」と言い放ってもまだスルーされる可能性がある。「お前、臭いよな(笑)」は相手が誰でも無事でしのげる自信がない。

また些事ですが、揺り籠の中にいるはずの生後半年の赤ちゃんが静か。描写すらほぼなされず、とても静か。生きてます?

なお先の粉屋の話とこの家扶の話は、学生が関与して、色恋沙汰と性交渉、暴力沙汰により巻き起こる騒動を喜劇として物語る点で共通するが、前者は大工(=家扶の元職)が騙されて馬鹿にされる一方、後者は粉屋が打ち据えられるのは好対照である。語り手も位置関係が対照的である。というのも、巡礼団の先頭を粉屋が、殿を家扶が務めているからだ。行例の先頭と殿で、こんな長い話を語る声が届くわけがないというツッコミは野暮なんだろうな。

*1:原語はreeve。元の意味は荘園の官吏であり、この時代だとそ荘園のために推挙された執事・代官といったところのようです。大工として信用を積んで、家扶に推挙されたという流れでしょうか?

*2:出発地のサザークからは10キロもない。どんなにダラダラ歩いても、騎士の話と粉屋の話を終えるのは無理だと思うがその指摘は野暮というものだろう。なお宿屋の主人は、グリニッジには悪い奴が何人もいると冗談めかして言ってもいる。チョーサーはグリニッジ住まいだったらしく、恐らくこれはチョーサーの友人である宿屋の主人(たぶん実在のモデルがいるとされる)の冗談か、あるいはチョーサー自身の韜晦ではないか。なおグリニッジ天文台は当時まだ影も形もない点には留意されたい。

*3:翌朝の娘の反応が明らかに恋する乙女なので、無理強いしたのではなく、忍び寄った後にちゃんと合意を取ったのだと思われる。そうであってくれ。

*4:「彼はまるで気違いみたいに激しくまた深く突き ます」とあるのでまあそういうことでしょう。ただし、細君が楽しく興奮したとは述べられているが、合意の有無は、娘の場合以上によくわかりません。