不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

聖餐城/皆川博子

聖餐城

聖餐城

 「馬の胎から産まれた」少年アディは、プラハに密書を届けるという醜いユダヤ人少年イシュア・コーヘンに出会う。イシュアが傭兵に殺されそうだったので、助けたのである。一方、イシュアの兄シムションは、プラハで、プファルツ選帝侯を兼ねる新ボヘミア王フリードリヒのために金策に奔走していた。フリードリヒは、前ボヘミア王にして現神聖ローマ皇帝であるハプスブルク家のフェルディナント2世と対立し、戦争を起こしていたのである。時あたかも1619年、ドイツを大いに荒廃させることになる三十年戦争(1618〜48年)の初期に当たっていた。
 三十年戦争の通史を、主に傭兵(アディ)・金融家(イシュアとシムション)の視点から描く。アディのパートが戦場の劇性を担当し、シムションのパートが国際政治面からの戦争の意義付けを担当する。こう言うと歴史を描く無味乾燥な小説かと思われそうだが、そこはさすが皆川博子、退廃的な雰囲気を惜しげもなく散らし、極めて重厚な人間ドラマをも実現している。雰囲気の面では、錬金術に凝りユダヤ人を重用した先々代の皇帝ルドルフ2世が、特にシムションに長い影を落としている。かと思えば、アディは刑吏の娘に恋をするが、当時、刑吏は差別されていたため、背徳感が非常に強く漂っている(娘の方もあまり乗り気ではない)。シムションとイシュアの、翳り濃い兄弟関係も見所の一つ。そして最終局面では、資本主義の萌芽すら見えてくるほど、巨視的な展望を見せてくれる。
 というわけで、華麗にして流麗な文体で紡がれた、極上の700ページ。強く、そして広くおすすめしたい。読者は、小説を読むことそのものを満喫できるはずだ。ただし、オカルト系・幻想小説系の要素は、ないわけではないが弱い。幻想作家としての皆川博子に期待する向きは、その点了解のうえ読まれてはいかがでしょうか。
 ちなみに、桜庭一樹の『ブルースカイ』は、第一章の舞台が1627年のケルン大司教領である。つまり、『聖餐城』とは時代・国ともに共通している*1桜庭一樹皆川博子を尊敬しており、以前インタビューもおこなっていたはず。比較するのも一興か。

*1:神聖ローマ帝国を同一国家とみなすのであれば、だが