不壊の槍は折られましたが、何か?

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修道女フィデルマの叡智/ピーター・トレメイン

修道女フィデルマの叡智 修道女フィデルマ短編集 (創元推理文庫)

修道女フィデルマの叡智 修道女フィデルマ短編集 (創元推理文庫)

 《修道女フィデルマ》シリーズ初の短編集である。「聖餐式の毒杯」「ホロフェルネスの幕舎」「旅籠の幽霊」「大王の剣」「大王廟の悲鳴」の5編が収められており、順に毒殺・冤罪晴らし・幽霊騒動・宝物紛失・密室殺人と、ヴァラエティ豊かだ。もっともいずれの事件もさほど複雑な様相を呈さず、シンプルな作りになっている。ゆえにクオリティが低いなどとと主張したいわけではないが、やはり最大の魅力が、推理よりもこの時代の風俗描写であることは揺るがないのである。7世紀のアイルランドとローマ(最初の短篇の舞台はローマである)の様子を活き活きと描いており、事件関係者の社会階級も、アイルランド大王ハイ・キングからただの旅籠の主人夫婦まで多岐にわたっている、その点からも色々と興味深い。ただし「アリバイ」という言葉がさらっと使われていて、ギョッとした。この点には作者に説明を求めたい。
 修道女フィデルマ自身は、相変わらずの完璧超人ぶりだが、完全無欠というわけではない。彼女は「自分は王族であることをあまりひけらかさない奥床しい人間」だと思い込んでいるが、実際は、相手の態度にちょっとムカつく度に、自分は王の(時間軸によっては王の後継者の)実妹だと名乗って威嚇しているのである。自己認識と客観事実のズレが、彼女にいい具合に人間味を加えていると思うのだが如何なものであろうか。長さも手頃なので、本書はこのシリーズ入門編としては最適である。おすすめしたい。