不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

カンタベリー物語 総序の歌/ジェフリー・チョーサー

 14世紀に英語で書かれた古典文学の日本語への完訳版を読み始めた。感想等を備忘録的にメモする。

 4月、恐らくチョーサー自身である語り手が、カンタベリー大聖堂への巡礼を思い立ち、ロンドンのサザークにある宿屋に滞在する。そこには、同じくカンタベリーへ巡礼に向かう、騎士・聖職者・貴族・平民などがいた。チョーサーは一人一人を丁寧に描写していくが、特に聖職者に対しては風刺が効いている。ただし毒々しくはなく、柔らかい語り口は、年代相応に大仰でまわりくどくはあるとしても、想像よりも遥かに、圧倒的に読みやすい。チョーサーに一通り個別に描写された彼らは、巡礼団を形成している。ただし、サザークに来る前にグループになっていたのか、それともサザークに来てから集団になったのかは判然としない。チョーサーは順番にそして宿屋の主人ハリー・ベイリーが、旅の行き帰りで全員が2つずつ面白い話をし、誰の話が最も面白かったかを競おうと提案する。勝者には、(恐らく帰って来た際に)宿屋でごちそうが奢られる。私の読んだ限り、奢るのは「全員で」である。そして裁定するため、宿屋の主人もまた巡礼に参加するのだった。30人のグループの中からクジで決まった最初の語り手は、騎士だった。

 ロンドンからカンタベリーまでは60km超。特に急がずのんびり徒歩で行ったとしても、30人が物語を滔々と語る時間は実際にはない。そもそも街道沿いに歩いている最中に、他の29人全員の耳に話を届けるのは無理だろう。まあこういったツッコミは野暮なだけか。なお、勝っても得られるのは宿屋での食事だけ。豪華なものだったとしても、賭けの対象としてはショボい。費用負担も、他の29人の割り勘であれば、巡礼に行けるほどの平民であればそこまで重くは感じられないだろう。しみったれてない?と思ってしまった。史上名高い作品ながら、物語の大枠ではそんなに夢のない賭け事である。

 また、グループ参加者同士の関係性がよくわからない。この巡礼で初対面となる人が多そうではあるが、主従や親子を除いても、以前からの知り合い人であることが仄めかされている気がする人もいる。巡礼者グループ内の人間関係は、チョーサーの各人に対する感想で終始すると言っても良い総序の歌だけではよくわからないのかもしれない。物語はまだ始まったばかりなのだ。なお書かれてから600年以上経っていて、同時代の人なら説明なしでもわかった事項がこちらにうまく伝わらない記述も多くありそうではある。現代人が言う「ツィートした」が昔の人には通用しないし、たぶん10年後の若者にも通用しないように。

 ともあれ、これは「枠物語」であり、各人が語る物語は入れ子構造となって、全体のイメージが説話集然とするのはもはや確定的ではないかと思う。後代における長篇小説的な要素が生じるのかどうかも、併せて検証していきたい。