不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

カンタベリー物語 医者の物語/チョーサー

ここに医者の物語続く。

序がなく、いきなり医者が話を始める。前の郷士の物語にも、次が医者であるとの示唆は一切ない。本当にいきなり、本題の話が始まるのだ。

ティトゥスリヴィウスの語った話だとのみ前置きがある。昔ヴィルジニウスと呼ばれる騎士がいた。彼女のたった一人の子は、美しい14歳の娘だった。賢く、気立ても良く、優しい娘だった。宴会・酒盛り・舞踏会のような、同世代の仲間が馬鹿なことをやりかねない場所にはあまり行かず仮病を使った。

医者は、子供を拙速に大人びさせ、厚かましいものにするのは危険と説く。ここから脱線し、女性家庭教師が雇われている理由は、ずっと道徳堅固であったか、かつて堕落し恋の手練手管を知って悪行を金輪際やめたか、いずれかだと言う。以前は鹿盗人だった者は森の管理が上手い。だがそういう人は、悪徳に戻ることができる。また、親たるものちゃんと子を責任をもって監督しなければならない。叱るのも怠る羊飼いのもとでは、狼が多くの羊を引き裂く。ごもっともながら説教臭いです。しかも、私の見たところ、この話には関係ありそうで実は全く関係がない。叱るとか監督とかそんなもんじゃないからなあ……。

さてこの14歳の美しい娘は、この地方を治めていた裁判官アピウスに見初められてしまう。ただ、無理矢理彼女を奪うようなことをすると、彼女や父親の味方が黙っていないのは確実なので、アピウスは、仲間のクラウディウスと謀を巡らす。クラウディウスはヴィルジニウスに対して、訴えを起こした。その訴えとは、「自分の奴隷を、年端も行かない内にヴィルジニウスが奪って行った、返還しろ」というものだった。そう、ヴィルジニウスの娘とされる人物が、実は自分の奴隷だという主張である。そしてアピウスは、ヴィルジニウスがまだ一言も主張していないのに、奴隷を返還するよう判決を下した。ヴィルジニウスははめられたことを悟るが、どうしようもない。帰宅して、彼は娘に事情を説明し、死と辱めの二択を迫る。娘は嘆き悲しむ。

「やさしいお父様、わたしは死ななければならないのでしょうか。なんの恩寵もないのでしょうか。なんの救いもないのでしょうか」

「なにもないのだ、本当に、愛するわしの娘よ」

一旦気絶し、そこから気を取り戻した彼女は、処女のまま死ぬ定めを感謝して、父に死を与えるよう乞い、また気絶する。父は娘の首を切り落とし、髪を掴んで、それを裁判官アピウスに見せに行った。

アピウスは、ヴィルジニウスを捕まえて縛り首にするよう命じたが、ブチ切れた市民が裁判所に雪崩れ込んで来て、逆に捕まってしまう。アピウスが好色なのは有名で、クラウディウスの訴訟もアピウスの仕込みだと疑われてしまっていたのだ。アピウスは獄中で自殺し、クラウディウスも絞首刑を宣告された後、ヴィルジニウスの請願によって追放刑に減刑された。

医者が「罪を捨てなさい(=人が罪を犯せなくなってから、つまり死んでからでは後悔しても遅い)」と忠告して話は終わる。

カンタベリー物語』、既に過半を過ぎているが、ここに来て救いのない話が来ました。ヴィルジニウス父娘は本当に大変な目に遭った。わずか14歳でこんな形で人生を終えることになろうとは。愛する娘を殺し、首を持って歩かねばならないとは。最後に懲悪だけはされたが、勧善は全くされていない。そしてこの話からこの教訓を出してくる医者の考えがよくわからない。14世紀人ならすんなり呑み込めたのだろうか。敬虔なキリスト教徒なら理解可能なのだろうか。どうなんでしょう。

ところで、恐らくはローマ帝国期であろうこの話にも、遠慮なく騎士がいますね。「騎士の物語」でも、恐らくは古代ギリシャ時代なのに騎士がぞろぞろ出て来ていました。中世期、「騎士」とは何だと思われていたのでしょうか。それともこの時代の情報量だと、異なる社会制度が想像しづらいのかしら。