不壊の槍は折られましたが、何か?

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ゲオルク・ティントナー/シンフォニア・ノヴァ・スコシア シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》

 1988年2月10日のライブ録音。演奏場所についてはCDに記載がないけれど、オーケストラの本拠地でやってるのであれば、ケベック・シティーのホールでしょうなあ。残響および拍手の響き方からすると、ホールはそれほど大きくないと思います。
 オーケストラのヘボさが致命傷の域に達した演奏で、終始、「貧相な演奏だなあ」という感覚が付きまとう。下手さが味に繋がってれば良いのだが、そういうわけでもないのです。ただし、そのヘボさは音楽を馬鹿にしてのものではなく、彼らなりに必死で頑張った結果であるのはしっかり伝わって来ます。弦の人数が少ないのは間違いないですが、それに加えて木管金管も音が痩せており、オーケストラに金がなくて良い楽器が使えていないのかも知れないな、なんて思いました。ティントナーの解釈は至って標準的で、感心するところはない代わりに「この解釈はないだろ」という箇所もない。印象的なのは、全ての楽想を慈しむように奏でさせている点。よってオーケストラの安っぽい響きが気にならない箇所では、なかなか魅力的な音楽に聞こえます。しかし基本的に楽器の音の一々に魅力がなく、力感も明らかに不足していて、全体的には具合が悪いと言わざるを得ない。弁護しておくとすれば、もう少し大きな編成のオーケストラだったら、話が違って来た可能性があるということぐらいかな。実際、NAXOSブルックナーは悪くないわけですし。各楽章とも、クライマックスで意外と見栄を切っていて、それらの箇所がこんなにショボいサウンドでなければ、印象が変わっていたかも知れない。力感を込めよう込めようとしている箇所で、絶望的に薄い響きしか出て来ないのは、ティントナーがちょっと可哀そうでした。このクラスのオーケストラしか振れない名声しか得られなかったのだから仕方ないが、やっぱりオーケストラはヘボいと駄目という当たり前の、だけれどつい忘れがちなことを思い出させてくれます。ただし、落ち着いてる演奏で、変なことも特にしておらず、下手とは言ってもずっこけるような大崩れはしていないので、疲れた時に何気なく聴いてみると結構良く聞こえたりするかも知れません。
 カップリングは1990年12月12日の同じオーケストラによる《未完成》ライブ。演奏の方向性も全く同じですが、こちらは曲想が曲想だけに、楽想を慈しむスタンスがよりハマっています。ちょっと柔らか過ぎて、強奏部が本来果たすべき「楽曲全体におけるアクセント」の役割がちゃんと出ていないですけれども。