不壊の槍は折られましたが、何か?

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ヨーゼフ・クリップス/ロンドン交響楽団 シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》

amzn.to
 1958年5月、ロンドンのキングスウェイ・ホールでのセッション録音。
 クリップスは「戦争直後のウィーン楽壇立て直しに尽力した」みたいな言い方で紹介される指揮者だが、その割にはウィーン・フィルに重用された印象が薄い。非ナチ化処理が済んだ指揮者が戻って来ると、そっちの方に人気が戻ってしまったんでしょうか。ただ、別に縁が切れたわけではなく、1972年に物故するまで共演の機会はそれなりにあった模様である。実際、この《グレイト》のカップリングは1969年3月にウィーンで録音された、ウィーン・フィルを振っての《未完成》ですからね。
 演奏はなかなかのもの。基本的には職人芸の世界で、ちょっと速めのテンポで進行する音楽を、細かいところまでよく彫琢しており、バランスを破ってまでではないが、どのパートもしっかり目立つ。ハーモニーはむしろ角張っているとさえ言える*1のだが、リズムが軽めで旋律もスムーズに流れるよう注意が払われており、特に硬質なイメージも喚起せず、《グレイト》に対して人が抱く「一般的なイメージ」を逸脱することはまるでない。クリップスはこの時期の伝統的ドイツ人指揮者とは異なって、重低音をベースとしたピラミッド型のオーケストラ・サウンドを採用しておらず、高音・中音・低音に大変平等に接するのも、この点に強く貢献している。要は、ドイツロマン派の濃厚な味付けは為されておらず、シューベルトを古典派の延長線上に捉えているということである。それでいて、古典派に比べて明らかに息が長くなっている旋律線の処理に困っている感が微塵もないのは、クリップスが有能な指揮者だったことを証明している。どことなく雅な空気感すら漂っているような気がするのは、クリップスがウィーンの音楽家だからか、それとも事前情報としてそれを知っている私の思い込みゆえか。ロンドン交響楽団も実にいい仕事をしています。誰だよイギリスのオーケストラはつまんないなんて言ってたの。
 カップリングの《未完成》は、ウィーン・フィルとの演奏である。と言ってもクリップスのやることは変わらず、古典的な造形感で曲を処理しているため、情緒纏綿では全くなく、雅な雰囲気をふわりと漂わせつつ、締まった音で綺麗にまとめられている。普段着だけれどその普段着がカッコよくて、ああこの人は本当にお洒落なんだなとわかる。そんな感じの演奏である。

*1:これは初期ステレオ録音のせいかも知れません。