不壊の槍は折られましたが、何か?

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クルト・ザンデルリング/スウェーデン放送交響楽団 シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》

 1994年10月14日、ストックホルムのベルワルド・ホールでのライブ録音。
 実にクルト・ザンデルリンクらしい演奏で、全体的には大らか・まろやか・雄大、それでいて細かい拘りも随所で光る。若干遅めのテンポ設定で、リズムも重めですが、序奏から非常に流麗に演奏されており、全体の流れが極めてスムーズです。そして、各楽想をなだらかに繋ぎ合わせて、彼方に聳える山の稜線のようにスケール豊かにまとめ上げている。ずっと落ち着いた挙措が続くのも特徴であり、第二楽章が過度に暗くなることなく、第三楽章のトリオも取り立てて寂しげな風情を強調しない。第一楽章もフィナーレも壮麗に鳴らされるが、情熱的な表現はさほど行われず、オーケストラをわざとらしく煽り立てることもない。全ては自然体なのである。だがこの雄大さと豊饒さには特筆すべきものがある。というよりも、ここまで雄大でなだらかな表現は他に聴いたことがなく、立派な個性となっている。若干もっさりしたフィナーレも、かえってこの演奏の《大きさ》を知らしめるものとなっていて素敵だ。第一楽章とフィナーレの両コーダの巨大さなどは、一体どう表現したらいいのか……。
 しかし細部では結構色々やっており、恐らく実演だと「ここはこういう響きなのか!」と驚かされる瞬間が連続していたと思われる。録音でわかる範囲で言うと、金管の使い方が実に効果的で、金管が鳴っていることを明瞭に示して、当該箇所が特別な部分であることを強調しているかのようだ。フィナーレのテンポが遅いのも、各楽想と各パートの絡み合わせを(チェリビダッケほど恣意的・意志的にではないけれど)強調したかったからだと思われる。それぐらい、音の絡み合いが丁寧だということである。
 カップリングは、1992年10月16日のハイドン交響曲第39番だ。こちらはさすがに《グレイト》ほど大柄な表現は採用されていないものの、腰を据えた自然な流れの中で、悪目立ちしない範囲において色々と仕掛けて来る。ピリオド・スタイルの演奏とは明らかに異なるが、挙措は意外と身軽で、細かい箇所の弾き方に拘っているのがよくわかる内容となっており、実に可愛くて微笑ましい瞬間が頻出する。アダム・フィッシャーとハイドン・フィルの交響曲全集に収められた演奏の方が鈍重に聞こえるぐらいである。もっとも、古典派のこの手の交響曲は、老指揮者が振るとはにかんだような魅惑的な表情が滲み出る場合があって*1、聴く前から予想ができてはいた。アダム・フィッシャーとしても、ザンデルリングの貫録に比べられるのは迷惑、といったところかもしれない。

*1:脱線するが、晩年のカラヤンなどには特にこれがあったと思う。