不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

パリ管弦楽団来日公演(東京1日目)

18時〜 サントリーホール

  1. ウェーバー:歌劇《魔弾の射手》序曲
  2. メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調op.64
  3. (アンコール)J.S.バッハ無伴奏ヴァイオリン・ソナタより第3楽章
  4. ベルリオーズ幻想交響曲
  5. (アンコール)ビゼー:《アルルの女》第2組曲よりファランドール
  6. (アンコール)シベリウス:悲しきワルツ
  7. (アンコール)ビゼー:小組曲《こどもの遊び》より ギャロップ

 クラシック音楽を聴く愉しみの究極とは何か? 私が考えるに、それは四つほどある。極めてシリアスに、楽曲の精神の深淵を覗くことが一つ。神あるいは偉大なものへの供物として作られた崇高な奉献を仰ぎ見るのが一つ。聴き手に寄り添ってくれる楽曲を心静かに一人浸るか噛み締めるのが一つ。そして最後の一つが、全てを忘れて心の底からお祭りのように楽しむ、というものである。
 今日の演奏は、最後のそれだった。パリ管弦楽団は、明るい音色と、木管群を中心とした素晴らしい個人技、そしてパーヴォによって整えられたアンサンブルをベースに、心底楽しい演奏を展開してくれた。驚かされたのは、音色の多彩さと芸の細かさである。ウェーバーでは音がちゃんと質実剛健だったし、メンデルスゾーンは素敵にくすみ、そしてベルリオーズでは色彩感が全開となって聴き手を圧倒した。節々に薫る高貴で粋な情感と来たら、もう反則のレベル。なお、諏訪内晶子はコンチェルトで、この素晴らしいバックに全く負けず、堂々とした造形と艶っぽい音色の奏楽を披露、これもまた素晴らしかった。楽曲をあまり締め付けていなかったのが特徴(もちろん、技術的に緩いという意味では全くありません)で、尖らない奏楽でしたが、正直この人をここまで素晴らしいと感じたのは初めてだったかな。離婚に絡んで週刊誌に色々書かれたそうですが、音楽はぶれず進化を続けているようです。来年のリサイタルには行けそうにないのが残念。
 本日最高のパフォーマンスは幻想交響曲でした。先日のカンブルラン指揮読響が、この曲に込められた情念をシリアスなものと受け止めて、その狂熱を表現することに注力した演奏だったとすれば、ヤルヴィとパリ管の演奏は、曲の情念を作曲者による自己戯画として若干ニヤニヤしながら書いた「わざとらしい」ものと捉え、随所に埋め込まれた当時としては新奇で珍奇な音楽作りを、エンターテインメントとして受け止めていたように思われます。パーヴォも楽団員も笑顔で演奏、良い音を出すとパーヴォがニッコリ頷いたり笑いかけてたりしました。それは演奏に欠ける意気込みや緊張感の欠如ではなく、あくまでこの演奏の方向性を指し示すものであったと思います。
 いやー、本当に楽しかった! 弾むリズム、輝く音色、吹きこぼれるニュアンス、そして堂を満たす強烈な愉悦感! こういうのもあるから、コンサート通いは止められないのです。