不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

サルビアホール・クァルテット・シリーズ 02

19時〜 サルビアホール

  1. メンデルスゾーン弦楽四重奏曲第1番変ホ長調op.12
  2. ショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲第8番ハ短調op.110
  3. ベートーヴェン弦楽四重奏曲第7番ヘ長調op.59-1《ラズモフスキー第1番》
  4. (アンコール)ベートーヴェン弦楽四重奏曲第13番変ロ長調op.130より第5楽章カヴァティー
  • パシフィカ・クァルテット
    • シミン・ガナートラ(1stヴァイオリン)
    • シッピ・バーンハートソン(2ndヴァイオリン)
    • マスミ・バーロスタード(ヴィオラ
    • ブランドン・ヴェイモス(チェロ)

 本日より、トリオやクァルテット等の少人数演奏団体の場合は、中の人の名前も併記することにしました。メンバー変わることもあるしね。
 メンデルスゾーンの最初の和音から、やばいぐらい上手いのがハッキリして驚倒する。技術的には文句なしで、各人の技量も非常に高い上、音の揃い方が半端なく、アインザッツは来る度に感心しておりました。というわけで切れ味抜群、すっきり爽快な音楽が繰り広げられていたんですただし、アイ・コンタクトを頻繁におこなって、身振りも大きく、顔の表情は楽想によって結構変わってる。ヴァイオリン二人は顔芸の域だったなあ。バーンハートソンとか、自分が主導する場面でかつ良い音を出せた時は天井に視線を向けたりするんだよなあ。「一緒に音楽する」ことを四人とも心底楽しんでいるのは明らか。楽しげなだけではなく、テンション高めで熱気がかなり感じられたことも特筆しておきましょう。
 最も成功していたのはやはりメンデルスゾーン。活き活きとした愉快な音絵巻が展開されて完全にノックアウトされました。一方シリアスなショスタコーヴィチはどうだったかというと……意外とこれはこれで大いにあり。技術的に何の問題もないのは当然として、ゴリゴリの共産主義国家が相当に昔のものとなった現在、ショスタコーヴィチイデオロギーの文脈ではなく、あくまでスコアを出発点かつ終着点にする、という近年の傾向が顕著に表れていた演奏であったように思います。そしてパシフィカ・クァルテットは、ショスタコーヴィチがそれで駄目になってしまう軟弱な作曲家ではないことをしっかりと証明。音楽外の情報をすっきり洗い流した、非常に立派で迫力十分、ときにはふくよかですらある、スケールの大きなショスタコーヴィチを提出することに成功していた。解釈面では雰囲気よりもあくまで純音楽なスコアの音化を追求するものであったため、曲側・奏者側いずれも「相手にとって不足なし」の状態。こういうショスタコーヴィチ、そういえばパーヴォ・ヤルヴィやウルバンスキもそうだったなあ……。
 後半のベートーヴェンも同様の演奏。面白かったのは第三楽章で、やろうとすればいくらでも「悲歌」にできる楽想なんですが、それを注意深く避けて、あくまでニュートラルに、しかし熱気を込めて立派な奏楽を実現していたのが印象的でした。そしてアンコールは、この日一番柔らかくそして深い呼吸で聴かせて、見事に演奏会を締めくくってくれました。
 というわけで素晴らしい四重奏団だったわけですが、ヴィオラのバーロスタードは、どうも日本人の血が入っている模様(ハーフというよりクォーターなんじゃないかと思うぐらい、見た目は白人さんが勝ってますが)で、名前のスペルもMasumiと、どう考えても名付親は日本人臭い。アンコールの曲名を紹介したのも彼で、「アリガトウゴザイマス*1。encore ハ Beethoven ノ Cavatina デス。オ聴キクダサイ」とそれなりに見事な日本語を喋ってました。パシフィカ・クァルテットはシカゴを拠点としており、この状況下で来日してくれたのも、アメリカ人だからかとか思ってたんですが、メンバーが日系人だからという理由も少なからずあったのかも知れない。感謝です。

*1:「マース」と伸びてなかったのがポイント。