不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

東京交響楽団第590回定期演奏会

18時〜 サントリーホール

  1. ルトスワフスキ:小組曲
  2. シマノフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番op.61
  3. (アンコール)J.S.バッハ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番イ短調BWV1003よりアンダンテ
  4. ショスタコーヴィチ交響曲第10番ホ短調op.93

 奏者入場前に、団長から本拠地ミューザの状況と、それに対する「皆さんからの温かいお言葉や援助」に感謝のスピーチあり。大変だろうが本当に頑張ってほしいと思う。
 ウルバンスキはポーランド生まれの28歳、つまり指揮者としては相当な若手である。トロンヘイム交響楽団の現首席指揮者にして、この9月からはインディアナポリス交響楽団音楽監督も兼務する予定であり、今後さらなる国際的な活躍が期待されている人材と言うことができるだろう。今日はその才能を東京交響楽団定期会員にまざまざと見せ付けていった。
 演奏内容に移る前に、プログラミングの妙に触れておきたい。共産主義圏で同時代の音楽がどう扱われていたかは「ジダーノフ批判」の例を引くまでもなくなかなか興味深い問題だが、非常に平たく言えば、同志スターリン治下においては、先進的な手法を取り上げてなおかつ絶対音楽を作った場合は粛清されるリスクが生じた。社会主義国家で活躍していた作曲家も当然この影響を受けたわけで、1950年作曲のルトスワフスキ《章組曲》もその流れに位置づけられる作品である。ワルシャワ近くの地方の民謡を、近代的オーケストレーションに乗せても違和感がないぐらいには変化させつつ、それでもなお民謡ベースの可愛い楽曲としての性格を維持したままの、事情を知った上で聴けば涙ぐましいと思える作品だ。続くシマノフスキは作曲年代が1933年初演はその翌年であり、社会主義国家云々とは直接の関係がないが、ルトスワフスキの《小組曲》同様ポーランド民謡に材を取ったこの曲をこのプログラムの中で聴いていると、ほぼ必然的にこの数年後、ポーランドがどうなったかに思いを致さざるを得ない。そして最後のショスタコーヴィチは、ポーランドの一方の侵略者たるソ連の大作曲家が、当該侵略およびジダーノフ批判当時の為政者スターリンの死後に久々に書き上げた絶対音楽である。これは色々考えさせられるプログラムだ。
 とはいえウルバンスキの演奏は、以上のような「物語」を音楽に仮託するような底の浅いものではなかった。楽譜に真摯に向き合うと共に、リズムにも十分意を用いつつも、旋律線を非常に大事にする解釈で、ややもすると「ガクタイの突撃」になってしまいがちなタコ10の第2楽章もリズムや音の尖りよりは楽想に焦点を当てた、とても丁寧な演奏だった。また特に弦のボウイングには相当細かく注文を付けていたようで、オーケストラのまとまりは格別である。では勢いがなかったのかと言うととんでもなくて、最初から最後まで威勢が良い音楽作りになっていたように思う。細部まで全部振ろうとする(その指示はちゃんと出せている)ので、もっとオケに任せる所を増やしても良いようには思ったが、まあ歳を取ってもマゼールのように全部制御下に置く指揮者もいるし、この道を進んだらなかなか面白い巨匠が出来上がるかも知れない。
 印象的だったのは、ウルバンスキが楽曲から「物語」を引き出そうとしていなかったこと。スターリンが生きている時代の社会主義国家の音楽は、やはりどうしてもそういう「物語」で見てしまうのだが、ウルバンスキはそれを一旦横にどけて真っ向勝負を挑んでいる。健康的というわけではなく、闇も毒も含んでいたが、それは作曲者のエピソードを介してのものではなく、スコアがそうなっているからというように聞こえたのである。指揮者が各楽曲の価値を「物語」でもって認めているわけではないのは明らかだった。ショスタコーヴィチは未だにエピソードで語られることの多い作曲家ですが、ひょっとすると、若い世代の音楽家にとって、シマノフスキショスタコーヴィチはとうの昔に本当の古典になっているのかも知れない。そして今日の演奏を聴く限り、ウルバンスキにとってはルトスワフスキも既にそうなのだろう。そんなことを思いながら聴いていた。なおルトスワフスキでもシマノフスキでも、民謡風のメロディーは「普通に」鳴らされていて、同国人ならではのコブシは見られなかった。ここら辺はやはり若者らしい部分であったように思う。
 協奏曲を弾いた諏訪内は堂々たる奏楽を披露。むろん技術的にも十分だが、やはりこの人は適切な楽曲把握が素晴らしいのだと痛感いたしました。もっと派手に曲芸じみて弾くことも可能な曲だと思うんですが、力強く旋律線を弾き込んでおり、音量自体はそれほど大きくないのにカロリー満点。メランコリックな楽想を堪能させていただきました。なおこのスタイルはウルバンスキとの相性も抜群で、息はピッタリだったように思います。特にテンポやリズムも揺らさないしね。アンコールは少々雑だったように思いますが、本プロの出来が素晴らしかったので文句なしです。
 演奏会の最後は拍手がなかなか収まらず、5回ほど舞台に呼び出されたウルバンスキが「もう寝ましょう」的なジェスチャーをして、オケも解散。若い素晴らしい才能に会うのは、やはり素晴らしいものだなあと思いつつ会場を後にしました。チェルノブイリからも近かったポーランド出身、しかも若手なのに、予定通り来日してくれたことにも感謝したいです。