不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

ロサンゼルス・フィルハーモニック来日公演(1日目)

サントリーホール:19時〜

  1. ファリャ:《恋は魔術師》から3つの踊り
  2. ラヴェルバレエ音楽《マ・メール・ロワ》全曲
  3. ストラヴィンスキーバレエ音楽火の鳥》全曲(1910年版)
  4. (アンコール)シベリウス:悲しきワルツ
  5. (アンコール)ストラヴィンスキー:花火op.4
  • ロサンゼルス・フィルハーモニック(管弦楽
  • エサ=ペッカ・サロネン(指揮)

 今シーズンをもって音楽監督を円満辞任するサロネンに率いられ、ロス・フィルが東アジアツアーを挙行。日本においては今日と明日の東京公演2回のみである。ちなみに次期音楽監督グスターボ・ドゥダメルだそうです。一気に若返るなあ。
 ロス・フィルの音には色がありませんでした。と言うと何色にも染まりそうに聞こえるでしょうが、その実態たるや「何色にも染まらない」という個性がある印象を受けました。もっともこれはサロネンが敢えて色を要求せず、楽曲を生のままで出したいという意向を持っていたがためかも知れず、確信的なことは何も言えませんです。よく考えると、メータとの録音、ジュリーニとの録音では全然違う音出していたように聞こえたしなあ*1
 素晴らしいのは、オーケストラの高い機能性と、楽曲全体のパースペクティヴの良さです。どういう音楽か非常によくわかる上、当たり前ですが明らかにどの日本オケよりも上手いのですね。音がキンキンギラギラしていないのもいい。結構木目調のいい音であったように思います。ニュアンスを勝手に出してくれるわけではないのは、アメリカのオケの常として諦めるべきなのかも知れませんが……。
 見ていて思ったのは、オケの鳴らす音楽がサロネンの指揮ととことんまで合致しているということ。長年のコンビによる人馬一体の演奏であったと言えましょう。すっきり爽快系の演奏でしたが、知情意をほぼ完璧に出しており、標題音楽だけを並べたプログラミングも奏功して、「スペインのパッションが〜」「フランスのエスプリが〜」「ロシアのエモーションが〜」などと言い出さない限り、各楽曲とも鬼にような完成度に仕上がっていたと思います。一部奏者の散発的なポカは除いてね。もっともこのポカも、数は日本のオケに比べると格段に少ないうえ、ポカしていない部分の出来栄えは天地の差がありました。演奏会全体の出来には影響が出なかったことを、ここに断言しておきます。どんな場面でも、どんな大音量になっても、音色がめちゃくちゃクリアに聴き取れる。これは本当に凄いことです。
……ただし、上で「言い出さない限り」で除いた各要望が満たされなかったことを問題視する人は多いかも知れない。まあ明文化するとアホでバカで度し難い勘違いにしか見えないでしょうが、それでもなお意外と重要な要素だったりするわけです。曲のお国柄を完全無視しても、「オケがニュアンスを勝手に出してくれるわけではない」辺りがネックになる聴き手はいるだろうなあ、と容易に想像が付きます。この点で、個人的にはアンコールの《悲しきワルツ》に問題を強く感じました。勢いが良過ぎて、死に行く者のワルツに聞こえないのです。サロネンも、そこまで注意を払っていなかったような……。この曲に関してはパーヴォ・ヤルヴィの方が上だったかも。
 あと、本当に個人的な感想を言わせてもらえば、今日のような素晴らしい演奏で聴いてもなお、《火の鳥》の全曲版は私には劇伴にしか聞こえませんでした。いやバレエ音楽なので実際に劇伴ではあるんですが、《ペトルーシュカ》《春の祭典》は全曲を「音楽」としても楽しめるのに、《火の鳥》だけは何故か全然ピンと来ないんですよね。ここら辺に俺の「バカの壁」がある――と考えると愉快ではないわな。この偏見を吹き飛ばしてくれる超絶の名演奏を聴けないものかしら。

*1:情けないことにそれより前の録音は聴いたことがない。ただし、ワルター指揮のステレオ時代のコロンビア交響楽団には相当数ロス・フィルの奏者が混じっていたというウワサなので、これが真実であれば「聴いたことはある」という結論になるでしょう。