不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団来日公演(東京2日目)

19時〜 東京オペラシティコンサートホール

  1. シューマン交響曲第4番ニ短調op.120
  2. ブルックナ:交響曲第9番ニ短調

 素晴らしいとか凄いとかを通り越した、実に凄絶な演奏。前半のシューマンからテンションが高かったですが、後半のブルックナーはその遥か上を行っており、正直これを書いている今も、あれをどう表現したらいいのか頭を抱えている始末です。第一楽章と第二楽章では突撃せんばかりの動的かつ勢いの良い演奏でした。この曲は別にベートーヴェンの第五や第七ではなく、ブルックナー交響曲第9番なわけです。「突撃」なんて、どう考えても不釣り合いな表現を出した時点で、演奏がいかに異様だったか理解していただければと思います。そして第三楽章では更にテンションが上がり、解脱とか枯淡とか円熟とか自然体とかはゴミ箱に放り込まれ、細部まで徹底的に管理され突き詰められ、そして楽団員も必死の形相で弾く、サイケデリックで強烈な演奏が展開されました。これには本当に圧倒されました。魂の救済や慰安といった、この曲のイメージにそぐう要素など何一つない。悪夢しかも明晰夢を見ているかのような、ざわざわした感覚を聴き手にもたらす、圧倒的な演奏であったように思います。こんな演奏は、オーケストラの誰も反抗できないほど年齢と経験を重ねて、しかも高齢になっても耳が良く、加えてまるでボケず健康体でいないと、無理でしょう。どこかが緩むと、すぐに自然な流れが素晴らしいとか彼岸だとかいう演奏になってしまうが、スクロヴァチェフスキは本当に、一つの音符も流さない。スクロヴァチェフスキは明らかに、どういう効果や意味があるかを、覚醒し切った頭で完全に計算し尽くしています。リハーサルで指示もよほど細かいのか、本当に、どの部分どの瞬間でも、恐るべき精度で各パートの音がくっきり聞こえる。
 祈りや切なさ、儚なさがもっとあったら、より普通の感動を覚えていたかも知れません。しかし、感動はなくても、下手な感動的演奏を遥かに超えるレベルで圧倒されたのは事実。行って良かった、聴き逃さなくて良かったと心底思います。今日の強烈な体験は、一生忘れないでしょう。なお今日も客層が良く、ブルックナーでは指揮者が手を下ろして満足気にウンウン首を縦に振り出したのに、それでも拍手が始まるまで一呼吸あったし、開始もおずおずしたものでした。変な演奏に圧倒されて腰が抜けていたのかも。そしてブルックナー・パウゼはどれもこれも完全な静寂が保たれてました。演奏終了後の沸き具合は、前半から昨日以上、後半が終わってからは5回も一般参賀が繰り返されました*1。しかしそれもむべなるかな。感動して泣いたとかそういうんじゃない。でも、これは、明らかに、かけがえのない唯一無二の体験だったと思うのです。

*1:最初と最後はスクロヴァチェフスキは一人で出て来ましたが、間は、順に、コンミス・首席オーボエ・ホルン&ワーグナーチューバ隊と一緒でした。音を出したのはオケだというスクロヴァの意思でしょう。