不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

小澤国際室内楽アカデミー奥志賀 設立記念演奏会

15時〜 上野学園石橋メモリアルホール

  1. (追悼演奏)J.S.バッハG線上のアリア
  2. ベートーヴェン弦楽四重奏曲第6番変ロ長調op.18-6
      • Li Le、Wang Huan(ヴァイオリン)、Qi Yuan(ヴィオラ)、Sun Xiaoqi(チェロ)
  3. ドビュッシー弦楽四重奏曲ト短調op.10
      • 須山暢大、依田真宣(ヴァイオリン)、瀧本麻衣子(ヴィオラ)、山田幹子(チェロ)
  4. モーツァルト:ディヴェルティメント ニ長調 K136
  5. チャイコフスキー:弦楽セレナード ハ長調op.48より第1楽章
  • 三井恵理佳、会田莉凡、須山暢大、土屋杏子、依田真宣、Li Le、Wang Huan、小川響子、河裾あずさ、堀脩史、川又明日香、富井ちえり(ヴァイオリン)
  • 七澤達哉、瀧本麻衣子、Qi Yuan、松山香織、中村翔太郎(ヴィオラ
  • 伊東 裕、Sun Xiaoqi、山田幹子、横田誠治、常田大希(チェロ)
  • 高橋洋太(コントラバス
  • 小澤征爾(指揮)

 サイトウキネン開幕前に若者たちと合宿を組み、室内楽や小編成の曲目を練習し、奥志賀で成果を披露する――そんな活動を、小澤征爾は何年も前からやって来た。今般それが「小澤国際室内楽アカデミー奥志賀」というNPO法人に整理され、学生の募集も(一応)国際的になった。それを記念した演¥・奏会が、東京でおこなわれることになったのである。なお彼らは27日に奥志賀において同一曲目の演奏会を開催済みだ。26日には地元の中学校、29日には松本市の国連軍縮会議閉会式で同じ曲目を指揮した模様である。
 ご存知のとおり、小澤征爾は食道癌が見付かった2010年1月以降、事実上の休止状態にあった。この間に彼が開いた演奏会は、2010年夏のサイトウキネンでチャイコの弦セレ第一楽章を二回振り、同年末のニューヨークでサイトウキネン・オーケストラを指揮して三晩のコンサート(ただしうち二晩は、コンサート後半のみ)でブラームス交響曲第1番、ベルリオーズ幻想交響曲ブリテンの戦争レクイエムを振ったのみである。今アカデミーでの演奏会は、小澤征爾が久しぶりに演奏を挙行した貴重な機会ということになるばかりか、癌発覚以降、首都圏で指揮するのは初、国内で楽曲の全曲を披露する(K136)のも初ということになる。一部マスコミでは今回の一連の演奏会は「本格復帰」と報じられているが、ご覧のとおり、小澤征爾がコンサートの全曲目を振るわけではない(弦楽四重奏曲2曲は、当たり前だが指揮者なしである)し、小澤征爾が指揮する曲目の総演奏時間は30分そこそこであるなど、「本格復帰」とはとても言えない演奏会であるのは間違いない。ただし、27日から30日と連続する日程を予定通りこなしたのは、真の本格復帰への足がかりとなることは間違いない。勝手な推測だが、小澤本人も十分な手応えを感じたのではないだろうか。真の「本格復帰」を、心して待ちたい。
さて肝心の演奏内容である。バッハは東日本大震災で失われた全ての命に捧げられた。演奏者もチェロ以外は全員立っての演奏。今日の演奏会では小澤征爾は指揮台を使っていなかったので、特にヴァイオリンとヴィオラの後列は、小澤征爾の指揮がよく見えなかったかも知れない。しかし演奏自体は非常に整っており、追悼だからと演歌調には絶対に陥らぬ気品に満ちたものだった。この節度と背筋の伸びるような佇まいこそが小澤征爾の何たるかを端的に示すものだったかも。
 前半では、バッハの後に弦楽四重奏曲が二曲演奏された。降り番の奏者たちも、舞台に並べられた椅子に座って観賞。中国人四名が弾いたベートーヴェンは、正直申し上げてまだまだ発展途上という感じで、音の濁りも時折感知された。1stヴァイオリンがリードしようとしてし切れていない辺りや、チェロのサポートもやや不十分、他の二奏者はちょっと消極的であったかも知れない。悪い演奏というほどのこともないが、未熟だったということです。そして次のドビュッシー、これは非常に熱のこもった演奏で掛け値なしに良かった。ちょっと熱過ぎやしまいか、と心配になるほどのフルテンションで一気に駆け抜ける第一楽章とフィナーレ、リズムが弾みに弾んだ第二楽章、そして音色とメロディーの移ろいを堪能させてくれた第三楽章と、どこをとっても満足する他ない見事な演奏で、感銘を受けました。各奏者の実力も高いレベルで均衡しており、果たし合いような真剣な雰囲気が会場を支配。個人の技量も、クァルテットとしてのハーモニーも、ベートーヴェンを弾いた四人とは格段の差があった。素人耳にもここまではっきりとわかってしまうなんて、音楽は時に残酷だよなあ……。
 後半は、小澤征爾が再び登場。今度は演奏者はコントラバスを除き全員座っている。K136は、音楽する喜びに満ちた快演となっていて、聴いていて本当に楽しかった。第二楽章の弱音部における慈しむような風情が殊に印象的であった。まさに十八番だけのことはあるといった感じか。そして1stヴァイオリンと2ndヴァイオリンが入れ替わって*1チャイコフスキーの弦楽セレナーデの第一楽章が演奏された。こちらは極めて情熱的な演奏で、触れると火傷しそうなほどテンションが高い。思いの丈をぶつけるような演奏には圧倒されたが、音楽のフォルムは決して崩れないし恣意的にもならない。これこそ小澤征爾の矜持ということなのだろう。なお小澤征爾の振りは、ニュース映像などを見ていると以前と変わらずアクションがでかいように見えたんですが、あれは編集の産物くさい。要所要所では身振りが大きくなりますが、トータルでは入院前に比べると明らかに小振りに。ただしグイグイ奏者を引っ張る牽引力は健在。眼光も鋭く、まだまだ引退は早いと思わされました。体力がもっと戻れば良いのですが。
 というわけで、良い演奏会だったと思いますが、一晩経って一番耳に残っているのは、小澤征爾の振った曲ではなく、若人の息吹に満ちた、分厚く熱いドビュッシーであります。ああいうのはベテランには出せないかも。

*1:教育目的の公演である以上、これは極めて妥当なやり方。