不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

モスクワ・ソロイスツ合奏団来日公演(東京1日目)

14時〜 東京オペラシティ コンサートホール

  1. メンデルスゾーン:ヴァイオリンとピアノのための協奏曲ニ短調
  2. パガニーニデニーソフ編):24のカプリースOp.1より、21番・9番・24番
  3. パガニーニ(バラショフ&カッツ編):ヴィオラ協奏曲イ短調
  4. チャイコフスキー:弦楽セレナードハ長調Op.48
  5. (アンコール)武満徹:映画《他人の顔》より《ワルツ》
  6. (アンコール)シュニトケポルカ
  7. (アンコール)ベンダー:グラーヴェ

 バシュメットが「来日を拒否する団員はクビにする」とまで宣告して来日したモスクワ・ソロイスツ。それにしては客の入りが悪い。7割程度? 日曜昼のマチネー、新宿から一駅のメジャーなホールにしてはちょっと残念な集客でございました。チケットも高くて7500円とそんなに高くないし、宣伝方法の問題かしら。それともバシュメットではもう客は呼べないのか。
 とはいえ、演奏内容は客の入りとは無関係にハイクオリティなものでした。まず最初のメンデルスゾーン。これは奇しくも同月14日に東響が定期演奏会で取り上げたのと同じ曲です。なぜこの短期間にこの珍しい曲が……と思いますが、実は東響で演奏されたのは、伴奏が管と打楽器を含むヴァージョンで、本日の演奏は、発見当初の「伴奏が弦楽のみ」のもの。短期間に両版を聴き比べられるのはありがたい限りです。が、そこはやはり初期ロマン派の協奏曲、印象の大半を担うのはやはり独奏なわけで、その点、楽想に鋭く切り込みかつその中で自由に泳ぎ回っていたテツラフに比べると幾分不利ですが、バーエワのソロは明るくまっすぐで華やか、十分に満足できるものでした。というかヴァイオリンの音色に酔わせてくれる、という点ではテツラフ以上。今後継続的にチェックしてみようかしら。モスクワ・ソロイスツの伴奏もまずは完璧。小編成を活かした小回りの利いた動きは聴いていて気持ち良いし、各パートのバランスも安定しています。一方、クセーニャ・バシュメットは、うまく指が回ってない箇所も散見されましたが、ピアノが強く出るべきところは出ようとするなど頑張っていて、少なくともヴァイオリンと伴奏に置いて行かれるというような醜態は晒しておりませんでした。個人的には、児玉桃の合わせものでの自己主張の弱さに不満を抱いているので、それなりにちゃんと「表現」しようとしている姿勢には好感を持ったり。まあ1980年生まれだからもう「姿勢」ではなく成果が求められるわけで、明らかに駄目なんですけどね。親の七光りですなあ。
 二曲目のカプリースは、ヴァイオリン独奏の原曲をヴァイオリン・ソロが基本的にはそのまま弾き、その後ろで弦楽合奏が不協和音に満ちたザラついた不穏な音で蠢く、という按配。正直「伴奏ちょっとどいて、カプリース聴こえない」という感なきにしもあらずですが、伴奏は伴奏で大変立派だし面白かった。というかこれ独奏は独奏で、伴奏は伴奏で聴かせた方が楽しめるんじゃないか、などと思いながら聴いておりました。ここでもバーエワの演奏は実に見事でした。カプリースそのものを聴かせていただきたい。
 後半のパガニーニは、《ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとギターのための四重奏曲第15番》のヴィオラ協奏曲への編曲版。楽章構成も5楽章から協奏曲っぽく3楽章にしているとのことですが、原曲を知らんのでこれ以上のことはわかりません。この曲ではバシュメットヴィオラで弾き振り*1。そのバシュメット、1953年生まれでまだ還暦迎えてないのにテクニックが「全盛期だったらこれじゃなかったろう」という箇所が散見されました。ただし音そのものの存在感は半端ない。最初の何ということのない一音目から惹き込まれたからなあ。これが貫録というものか。ヴァイオリンが人間の声に一番近い楽器と言われることがありますが、あれは嘘だな。俺は今日以降、「話をしていると頭が痛くなるぐらい声が高い人のを除き、人間の声に一番近いのはヴィオラである」と主張したいと思います。
 本プロのトリは、チャイコの弦セレ。団員は皆さん腕っこきと思しく、小編成*2の機動力も存分に駆使して、切れ味鋭い演奏を展開。アゴーギクやルバート、そしてアクセントの付け方はかなり細かく、曲想に対する味付けは濃厚だったと言えましょう。ところが小編成ゆえ音は澄んでいる。この相反する要素が、非常に面白い効果を挙げていて、大変面白く聴かせていただきました。
 白眉はアンコールだったような気がします。武満徹ではモスクワ・ソロイスツ合奏団の機動力が全開になっていたし、バシュメットが再びヴィオラ片手にやって来て弾き振りしたシュニトケは、このユーリー・バシュメットという音楽家の何たるかをはっきり示す演奏になっていたように思います。そして最後のベンダーは、またもやヴィオラ片手に現れたバシュメットが「地震津波の犠牲者に捧げる」として演奏されました。特に拍手するなとかは言わなかったし、追悼演奏だということが聞き取れない人も多かったのか、終わった瞬間にバチバチ普通に拍手が始まってしまったのは残念でしたが、儚く悲しげな曲想で感動的に演奏家を締めてくれたと思います。
 先述のとおり、ヴィオラ奏者としてのバシュメットは盛りを明らかに過ぎているし、指揮者としてはウウム、という感じの挙措ではありました(有能な奏者が揃っているモスクワ・ソロイスツあっての今日の演奏では、と思われます)が、遅ればせながら彼の実演に接することができたのは無上の喜びであります。

*1:まあ開始のアインザッツ以外はほぼ弾きっぱなしで「振って」はいませんでしたが。なおこれはアンコールも同様。

*2:4-3-5-3-1と、ヴィオラが妙に多いのが面白い。