不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

《二期会創立60周年記念公演》トゥーランドット

14時〜 東京文化会館

  1. プッチーニ:歌劇《トゥーランドット
  • トゥーランドット:丹藤亜希子
  • カラフ:ルディ・パーク*1
  • リュウ:新垣有希子
  • 皇帝アルトゥム牧川修一
  • ティムール:大塚博章
  • ピン:栗原 剛
  • パン:西岡慎介
  • ポン:菅野 敦
  • 役人:上江隼人
  • 演出:粟國 淳
  • 装置:横田あつみ
  • 衣裳:合田瀧秀
  • 照明:笠原俊幸
  • 振付:松原佐紀子
  • 演出助手:久恒秀典、大森孝子
  • 舞台監督:大仁田雅彦
  • 公演監督:大島幾雄

 演出面から。歯車が回り、兵士たちの動きもギクシャクしていて、群衆は画一的でみすぼらしい服を着ているという、ディストピア風の舞台。大臣以上の貴人たちの服装は、戦隊ものの顔出し悪役に近かった。なおカラフはモンゴルの民族衣装風の格好で、やや浮いていたと言えなくもない。舞台奥は全面セットでふさがれており、演技スペースは手前数メートル程度しかなく、走り回ることはできそうにないし事実やってなかった。合唱がわらわら出て来るとちょっと窮屈そう。演技はいかにもオペラという大根役者めいたもので、もうちょっと何とかならないのかなあと思わされた。あと、リューは自殺ではなく、トゥーランドットに駆け寄ろうとして護衛の兵士(四名)に刺し貫かれる、というもの。演出家曰く「あれは全自動の護衛ロボットなので、駆け寄る=自殺です」ということであったが、ちょっとわかりにくかったなそれは。被り物にすれば良かったのに。謎の答えを示す三人の賢者は被り物だったんだから、可能だったはずなんだけれどなあ。ただし、リューの死の後に幕を一度閉めて一呼吸置いてから、カラフとトゥーランドットのやり取りを「緞帳を下げた舞台に二人しかいない」状況でやったのは、良い判断だったと思う。自分を慕って身を捧げた女の死体が転がっている横で、美姫を情熱的に口説くカラフ、という図には違和感覚えてたんだよなー。それが避けられたのは良かった。背景をカットすることで、実際には会話が交わされていないようにも見えたし。
 というわけで、演出はそれほど気に入らなかったんですが、演奏が充実していて不満を吹き飛ばした。まず第一に指を折られるべきは、ジェルメッティ指揮下の読響である。テンポは快速だったが、細部のニュアンスを吹き飛ばすことはなく、響きもあくまでふくよかで陰影に富み、コントラバス4本の省力編成なのに迫力も満点。プッチーニのロマンティックな音楽が堪能できたのである。歌手陣もカラフ役とリュー役を筆頭に大健闘。満足を通り越して感動すべき舞台に仕上がっていたと思う。《トゥーランドット》は台本が結構滅茶苦茶で、普通に読んだだけではどの登場人物にも共感できない類の話だが、音楽が付加されるだけで、かくも感動的な物語に化けてしまうのである。音楽は素晴らしく、同時に恐ろしいものであることを痛感した次第だ。あと、気に入らないと言った演出も、音楽を阻害するようなことはせず、「二期会六十周年」という記念公演に相応しい高いクオリティの演奏が存分に楽しめた、良い後味の公演となりました。

*1:本来は松村英行氏が歌うはずだったのだが、「体調不良」によりルディ・パークが代役が立った――というのは、公式発表上の話。松村英行氏自身のブログのキャッシュによると「まぁ、来日した外人に嫌われたようです」ということで、どうもジェルメッティと衝突したらしい。「僕は、指揮者というものは、歌い手がいかに歌いやすいように振りつつ、全体をまとめていく。っていうのが仕事だと思いますので、自分の音楽、その他を押し付けるような、傲慢な指揮者は、どうかと思います。」と書いており、指揮者と実際に音を出す人々の関係は色々あって大変だなあと思われたことであります。