不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス来日公演(最終日)

18時〜 東京オペラシティタケミツメモリアル

  1. モーツァルト:行進曲ニ長調K.335より第1番
  2. モーツァルト:セレナード第9番ニ長調K.320《ポストホルン》
  3. モーツァルト交響曲第35番ニ長調K.385《ハフナー》
  4. (アンコール)モーツァルト:6つのドイツ舞曲K.571より第6番ニ長調

「真に美しい音色を紡ぎ出すには、醜い音を出すリスクを恐れてはならない」――繰り返しそう発言し、我々聴き手もそのような音楽家であると認識しているニコラウス・アーノンクール。しかし、バッハのミサ曲ロ短調ハイドンの《天地創造》で聴かせた音は、とてつもなく綺麗なものだった。特に前者はふわふわした、儚げな風情すら漂う音で、大いに驚かされたわけである。
 しかし今日の演奏会では様相が一変していた。ザラつく弦、鋭い音を容赦なく耳に突き立てる管、激しい打ち込みのティンパニ。それらの「醜い音」を随所で強調しながら、アーノンクールはこれでもかとばかり曲想を抉る。さらりと流される箇所は皆無で、全ての音符が強烈なドライブ下にある。楽想の描き分けは常に極端なコントラストを伴い、音楽は小節ごとに局面を変えて行く。拍子もかなり細かく動かされ、パウゼでは流れがブツ切れになることもしばしばで、音楽はほとんど《歪》寸前まで行く。普通はもっと美麗に鳴らされるであろうモーツァルトの音楽に潜む凶悪性が、これほどまでに露わになるのは本当に稀有なことだと思う。
 当初発表されていた曲順が変更になり、前半に《ポストホルン》(そして事前告知はなかったが当時の慣習に従ってのことだろう、曲前に行進曲が奏でられた)、後半が《ハフナー》と相成った。《ポストホルン》の方では結構茶目っけもあったのだが、後半の《ハフナー》は最初の一音(何と共謀な一撃であったことか!)からはっきりそれとわかるぐらい、シリアスな表現となっていた。苛烈な第一楽章、沈鬱な第二楽章、気楽なものは最初に聴かせようと思ったのだろうか。ニコラウス・アーノンクール、齢80にして未だ丸みを帯びず、尖がったままだ。
 最後のアンコールは、アーノンクールがゆっくり曲名を告げてから開始。スタイルは本プロと変わらないが、彼ら自身がニコニコしながら弾いており、見ていて楽しかった。出番のないヴィオラの方々はタンバリンやシンバル等の打楽器に回っていた。当然これらは素人仕事になるが、その磨かれていない素朴な音出しは、アーノンクールとVCMには似つかわしいと思われたことであります。
 演奏終了後の一般参賀は計3回。最後の一回は、今回の来日公演全体に向けられた、聴衆たちからの礼であったと思います。ロ短調の日以外は客の入りが6〜7割で残念でした。それでも全く手を抜かず、アーノンクールもVCMもシェーンベルク合唱団も、素晴らしいパフォーマンスを披露してくれました。ありがとうアーノンクール。さようならアーノンクール。でも後もう一回ぐらいは来てくれたら嬉しい。