不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

ナチス・ドイツについて

 別にブログを捨てたわけじゃないんですが、結果的に長らく放置してしまいました。でもブログはブログとして、今後もたまには使う予定です。ただし用途をフリーダム化させるつもりなので、音楽ネタに偏るかと思えば読書ネタに偏ったり、それどころか時事ネタに走るかも知れず、色々ごった煮になりそうです。
 というわけで前置きもそこそこに、本題へ。でも駄文(駄エッセイ)なんで自分語りうぜえと思う人はまわれ右を推奨します。
 最近なぜか、普通に読書しているだけなのに、ナチス絡みの事項にぶち当たることが多い。ベルリン・フィルナチスの関係を豊富な取材をとおして浮かび上がらせた『第三帝国のオーケストラ』は直球ど真ん中だし、1945年を舞台にしたドイツ・ミステリ『占領都市ベルリン、生贄たちも夢を見る』(作者はピエール・フライ)は、殺人事件そのものが起きるのはドイツ敗戦後だが、被害者たちの来歴を概ね1933年*1辺りにまで遡ってフラッシュバックさせるので、実質的には「ナチス時代から敗戦・占領直後」のドイツの一般女性たちを描くオムニバス短篇集としても読めて興味深かった。

第三帝国のオーケストラ―ベルリン・フィルとナチスの影

第三帝国のオーケストラ―ベルリン・フィルとナチスの影

占領都市ベルリン、生贄たちも夢を見る

占領都市ベルリン、生贄たちも夢を見る

 なお、『第三帝国のオーケストラ』ほど詳細ではないが、やはりベルリン・フィルを語る際に1933〜45年、そしてその後の活動においてもカラヤンナチス党員だったことなどから、創設から現代までを俯瞰する『ベルリン・フィル――あるオーケストラの自伝』も、ナチスを避けて通れない。
ベルリン・フィル あるオーケストラの自伝

ベルリン・フィル あるオーケストラの自伝

 はたまた、『ユダヤ警官同盟』訳出で昨年話題を呼んだマイケル・シェイボンが1月に出した『シャーロック・ホームズ最後の解決』は、1944年、老いたホームズが、ドイツから一人亡命して来たユダヤ人の少年がオウムを盗まれたことから、それを探してやる(ついでに殺人事件の調査もおこなう)という物語である。この時期にドイツから逃げて来たユダヤ人が、どういう状況をかいくぐって来たか、簡単に想像できますね? しかもこの子は全く喋らないのである。なおこの作品には、爆撃を食らってぼろぼろになったロンドンをホームズが二十数年振りに訪れる、なんてシーンもあってなかなかに感慨深い。
シャーロック・ホームズ最後の解決 (新潮文庫)

シャーロック・ホームズ最後の解決 (新潮文庫)

 ……って、あれ? 並べてみるとたった4冊しかないのか。実感的にはもっとたくさん「ナチス」関係の本を読んでたような気がするんですけど。
 とこんな感覚を持った理由は、極めてはっきりしている。私はクラシック音楽――ナチス第二次世界大戦によって人生に影響を受けた作曲家が作った曲や、演奏家が遺した録音などをふんだんに含む――を日常的に聴いているからである。『第三帝国のオーケストラ』で例示されたのは、ベルリン・フィル(とその団員)、フルトヴェングラーカラヤン辺りだが、他にもドイツにとどまった著名作曲家(リヒャルト・シュトラウスやプフィツナー)や演奏家は多い。彼らはほぼ全員、戦後すぐは結構大変な生活を過ごしたようである。しかし亡命すりゃ良かったのかというとそうでもない。バルトークアメリカに逃げたが遂に本国(ハンガリー)で得たほどの名声を存命中に再獲得できなかった。1933年以前にベルリンで人気を博していた指揮者ワルタークレンペラー、エーリヒ・クライバーも亡命先で結構苦労している。またワルターは娘を婿に殺されるという悲劇に見舞われている。エーリヒ・クライバーは戦後、独墺に復帰した際、「(ユダヤ人でもないのに)戦争中に逃げた奴」と、とてつもなく冷たい視線を浴びせかけられたようだ。国は違うが、ナチス占領下でナチスに協力的だった(利用された?)オランダ人指揮者メンゲルベルクは、終戦後完全にはぶられ、とうとう一回も指揮できないまま1951年にスイスで死んだ。
 というわけで個別にも悲劇は色々あるのだが、後世まで深刻な影響を与えたのは、枢軸国側にとどまったかどうかで、共演が不可能になってしまう時期がある程度続いたことであろう。フルトヴェングラーユダヤ系の演奏家から、メニューインなどごく一部の例外を除き共演を拒まれたのは有名な話である。しかしこれは、ナチス治下のドイツの演奏会に、ユダヤ人の演奏家を無定見に招待しては「音楽は政治とは無関係」と脳味噌お花畑な意見をまくし立てて、ユダヤ人やナチス嫌いの演奏家がなぜドイツで演奏することを嫌がるのか遂に全く理解しなかったフルトヴェングラーの、ある意味自業自得である。そしてその「自業自得」は、多かれ少なかれあらゆる枢軸国側の演奏家に言えるのだが、正直、当時のドイツ人の多くが「ナチスの政見」全てに同意していたとは考えにくい。フルトヴェングラーに代表されるような「芸術家の意見」はあまりにも純朴、あまりにも幼稚だが、だからと言って一方的に罵倒できるようなものでもないと思う。
 ナチスは『第三帝国の興亡』で詳細に語られるように、割とあれよあれよという間にドイツを支配したのであって、国民の多くが十二分な政策検証をしたわけではない。市民感情としては、『占領都市ベルリン、生贄たちも夢を見る』でいみじくも示されたように、まさかあの(控え目に言っても)ラディカルな施政方針が全て本気で実行に移されるとは考えていなかったのだろう。
第三帝国の興亡〈1〉アドルフ・ヒトラーの台頭

第三帝国の興亡〈1〉アドルフ・ヒトラーの台頭

 その甘さをドイツ人の罪と言うのは非常に簡単である。しかし、衆議院選挙で大政党が圧勝した際、ほとんどの日本人は「まさか××の政策*2を、本気では貫徹しないだろう」と思っているはずだし、事実そう考えて投票しているはずである。まあ××に入るのが何かは個人差があるだろうが、ともかく、そう考えて投票している我々と当時の一般的ドイツ人の間に、一体どれほどの違いがあるというのだろう。そして、音楽と政治は関係がないとする意見を批判することも、恐らく我々はできない。ピアニストのクリスティアン・ツィマーマンが2006年に来日した際、日本の海外派兵を非難するスピーチをコンサートでおこなった際に「そんなものを聴きにコンサートに来たわけじゃない!」とブログ等で怒り出す人がかなりいた。そういう人は、フルトヴェングラーを笑えないと思う。根っこに「音楽は政治と無関係のもの」という認識があるのはほぼ間違いないからである。
 もの凄く脱線してしまったようだが、私が言いたいのはこれに尽きる。誰もがある程度やらかす先見性のなさ、勘違い、幼稚性に起因した過ちは、しかしナチス・ドイツ第二次世界大戦というシャレにならない社会状況の前で、とてつもなく大きな意味を持つようになってしまう。その結果、ナチスなかりせば頻繁におこなわれ、音楽をさらに豊かにしていたであろう音楽的交流が致命的に損なわれてしまった。クラヲタ的観点から言えば、これもまた取り返しのつかない悲劇である。こういうことは二度と起こしてはならない。
 と、このように語り出すと止まらない人間は、20世紀中葉の楽壇に甚大な悪影響を及ぼしたナチスに、どうしても過剰反応してしまう。それこそ書物にちょっと出て来ただけでも注目し拘泥してしまうのだ。わずか4冊しか読んでいないのに、えらくナチスのことを読んだ気がしたのは、多分このせいなのである。ただし、4冊とも「ちょっと」どころじゃなく関係しているので、ナチスが与えた影響を考察したい人は読むと吉。

*1:ナチスの政権奪取年である。

*2:マニフェストだけではなく、勝利した政党の幹部が過去に公言していた事項を全て含むものとする。