不壊の槍は折られましたが、何か?

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ヴィルヘルム・フルトヴェングラー/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》

 1942年12月6日から8日、ベルリンでのライブ録音。有名な録音である。
 世評は全く間違っていない。すなわち、フルトヴェングラーがデフォルメと死力の限りを尽くした、ハイテンションでドラマティックな戦時中の演奏の最も極端な事例が記録されている。第一楽章の主部からしてテンポの変転は半端ではなく、テンションもMAXに近い。ティーリヒェンの著作によると、少なくとも最後の数年のフルトヴェングラーは、最終楽章のコーダを迎えるまで出力100%にしてはいかんと考えていた模様だが、時期が異なるこの《グレイト》は違っていて、最初から全力全開だ。余裕なんてどこにもなくて、体当たりである。その象徴がテンポの伸び縮みの程度。テンポの変転はフルトヴェングラーを特徴づける要素なのだが、その彼においてすら、ここまで強烈なのは稀であろう。モチーフの繰り返しが多い曲ゆえ、「次はここでこう来るんじゃないか」と予想が立てやすく、これらの加減速が即興ではなくある程度は計算の結果であることが、わかりやすくはなっている。しかし予見できようができまいが、フルトヴェングラーのやることの一々に真実味、説得力、情熱があるのは間違いなく、またそれがどれぐらい強烈なデフォルメになるかも実際にその場面に至らないとわからない(どこで加速するかは予め決めていても、どの程度の加速にするかはその場で決めていた可能性もある)わけで、結局のところは為す術もなく感動(または興奮)させられるのである。ベルリン・フィルも凄まじく、音自体の迫力もさることながら、この頻繁なテンポ変化と、速い時は鬼のように速いテンポ設定にばっちり付いて行くメカニカルには脱帽せざるを得ない。まあ第三楽章冒頭はアンサンブルが乱れてますが、これはフルトヴェングラーの出の指示が見づらいからだと思われる。しょうがないね。
 この演奏の方向性を一番端的に示しているのは、しかし第一楽章やフィナーレではなく、第二楽章だ。行進曲調の部分も多いとはいえ、この楽章は基本的に緩徐楽章のはずである。しかしフルトヴェングラーは、ここでも落差の激しいドラマを創出する。さすがに青筋を立ててエキサイトしてはおらず、侘しげなメロディーを明滅させもするけれど、指揮者によるドライブは結構強めにかけられている。
 指揮者の強い個性が刻印された、素晴らしい歴史的録音というのが総評となる。なお「オーケストラが何をどうやっているかはわかる」点で、本録音は27年以上後のシューリヒト録音を優に凌駕する。というかあのシューリヒト盤は本当に音が酷かった。コンサートホール・ソサエティの当時の関係者はとっくに泉下の人だろうが、あの世で誰かが何らかの詰め腹を切らせていることを望む。
 なおカップリングは《ロザムンデ》の第三幕間奏曲。オーケストラはウィーン・フィルで1944年6月3日の演奏である。ゆったりしたテンポと若干引きずったリズムで、この有名な楽曲を甘美に退廃的に演奏している。中間部はまさしく夢のように響く。実演で聴いたら卒倒ものかもしれない。まあこの時期に独墺にはいたくありませんが。