不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

燃える世界/J・G・バラード

燃える世界 (創元SF文庫)

燃える世界 (創元SF文庫)

 恐らく海洋汚染に起因すると思われる薄い被膜が大洋を覆い、海からの水の蒸発が阻害された結果、河川→海→蒸発→雲→降水→河川という自然界のループが破綻してしまった後の地球を描く。しかもなぜか海岸線が後退しており、陸地には砂丘と莫大な塩が残されていた。そして内陸部もどんどん砂漠化が進む。そんな中、人類の文明は崩壊の瀬戸際に立たされていた。
 燃えてないじゃんという定番の突っ込みはさておき、『燃える世界』は暑いという点で『沈んだ世界』と共通するが、湿度の点ではまったく逆の形で世界が破滅を迎えた小説である。わずかな水を巡って醜い人間模様を織り成す人々を、主人公のチャールズはどこか醒めた目で見ている。その一方で淡々と描写される、塩と砂の光景は、なぜかとても美しい。湖やらライオンやら、ポエジーに満ちてすらいる。そしてせっかく手に入れた自動車も部品がダメになって動かず、その部品の入手は恐らくもう不可能であること、作品内での数年の時間経過につれラジオの放送があるのかないのかすら次第に触れられなくなるなど、文明への静かな挽歌が背景に流れる。
 興味深かったのは、『沈んだ世界』の光景が登場人物に狂気をもたらし文明を積極的に破壊ないし拒否させていたのに比べ、『燃える世界』のそれは、文明の崩壊と同時進行で人類に知能や理性の退行をもたらしている点だ。痴呆になった老婆がその象徴となろうし、水を守るために団結する単位も、最初の市レベルから村落レベル、仲間内レベルにまで落ち込んでおり、終盤ではさらに細分化する兆候も見せるのである。登場人物の理知的な言動も明らかに少なくなっており、皆だいぶお疲れというか、粗にして野になっている。こういった世界の終りを描く筆致が、あくまで折り目正しく流麗なのが面白い。これがバラードの特徴なのだろうか。
 深い余韻を残すがどう解釈すべきか迷う結末も含め、じっくりと味わうべき破滅SFである。