不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

沈んだ世界/J・G・バラード

沈んだ世界 (創元SF文庫)

沈んだ世界 (創元SF文庫)

 70年ほど前に起きた太陽の活発化により、地球は高温多湿の水浸しの世界となっていた。人類は両極に追いやられ、以前の大都市は両生類と爬虫類が闊歩する湖沼地帯となってしまったのである。国連調査部隊に加わった生物学者ケランズは、激変した動植物を調べながら軍隊と共に水没した都市を遍歴していくが……。
 半可通はよく誤解するが、SFは未来を予見する物語では断じてない。従って、SF作家が予想した未来と実際の未来がかなり異なっていても、それは批判すべき事由にはなり得ない。そして逆に、SF作家の予想を現実が実際に追いかけたとしても、それ自体は誉めるべきことではない。……頭ではよくわかっているのである。しかし『沈んだ世界』のような作品を今読むと、どうしても現実と引き比べてしまう。
 本書で地球に起きている事態は、温暖化そのものである。原因こそ温室効果ガスではないものの、発表当時と今とでは、読者の体感上の実現可能性は段違いであるはずだ。結果、本書は、黙示録的な予言書のように読み解くことも可能になってしまった。作品・作家が与り知らぬところで、読まれ方は引き返せないほど変容したのである。しかしこれは――前段落の主張とは矛盾するかも知れないが――仕方がないことかも知れない。小説も社会の構成要素の一つである以上、「書かれた当時」のみならず「読まれた時点」の社会の影響をも受けざるを得ないからだ*1
 さて肝心の中身であるが、熱でうなされるような終末感を濃厚に刻印している。熱帯気候と共に訪れる破滅は、『結晶世界』で同じ作家が見せた寒々しくも美しいものではなく、より動的でより猥雑なもののように思われる。端的に言えば、全てがとても蒸し暑いのである。荒ぶる熱帯の自然、爬虫類と巨大植物でいっぱいの力強い自然に惑わされて、複数の登場人物が精神の均衡を崩すのも、この雰囲気なら納得だ。狂騒的なイベントの発生も、かなりの迫真性をもって描かれている。そして全てを、バラードはわずか260ページの中にぎゅっと凝縮しているのだ。人類がこの後どうなるのか、地球はどのような局面を迎えるのか。そのような世界レベルの結論を何も述べないまま、物語はケランズと共にジャングルの奥に去って行く。娯楽小説と断言するにはあまりに濃い後味を残すこの作品、やはりなまなかな覚悟で読み始めるべきではない。歯応えたっぷりだし、ページ数の割には時間もかかるので、心に余裕のある時にどうぞ。素晴らしいけれどね。

*1:もちろんより正確に言うと、「作品が」ではなく「読者=俺が」だが。