不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

コンラッド・ハーストの正体/ケヴィン・ウィグノール

コンラッド・ハーストの正体 (新潮文庫)

コンラッド・ハーストの正体 (新潮文庫)

 このタイトルだと、1:コンラッド・ハーストという謎に満ちた人間の正体を、彼以外の人間である主人公が追究する話、2:記憶喪失に陥った主人公コンラッド・ハーストが、自分の正体を追究する話のいずれかを連想するのではないか。しかし実は違うのである。本書の主人公はコンラッド・ハーストに他ならず、人物同定も自分でしっかりできている。記憶もちゃんとある。だが、ある時から、自分が知らず知らず壮大な計画に絡め取られていたのではないかと疑い始めるのである――それには、自分の地位すら嘘だったのではないか、という疑いも含まれている。香山二三郎氏が、いきなり謀略小説云々で解説を開始するのもこれに所以する。
 旧ユーゴスラヴィア内戦で仲間を失い、神経を病んでいたコンラッド・ハーストは、ある組織の人間に雇われて、闇社会での暗殺者として日々を送っていた。数年後、ドイツでクレンペラー老人を殺害した彼は、ふとしたことがきっかけになって、足を洗いたいと思うようになる。そのために、彼は自分が暗殺者であると知る組織関係者を殺して回ることを決意した。……しかし、その内の一人がコンラッドに殺される間際、謎の言葉を残す。そしてコンラッドは、自分が何の組織に所属しているかについて、大嘘を付かれていたのではと疑い始める。
 コンラッドが以前の恋人に宛てたらしい手紙が切なさを煽る中、足を洗うための殺しの旅が、次第に自分探しの要素も混入し始める。殺し屋をやっている期間中は、あまり人と喋らない生活を送れていたのに、途端に行く先々で様々な人々が喋りかけてくるようになり、コンラッドは彼らも「組織」の手先ではないかと疑うのだ。主人公が巻き込まれた事態の全貌がなかなか見えない中で、CIAやらインターポールやら物騒な団体名が交錯し、物語は次第に盛り上がっていく。しかし本書の根底にあるのは、コンラッドが抱える空しさと寂しさである。
 単純なサスペンスや冒険小説では、殺し屋が主人公となると熱い話となりがちだ。しかし本書の体温は低い。これは本書が本質的に謀略小説・エスピオナージュだからである。コンラッドは旧ユーゴで精神に不調を来たし、世の全てを儚んでいる。自分が生きているという実感に乏しく、これはエピローグで明かされる「ある事情」を経た後でも基本的に変わっていない。自分が置かれた状況を冷静に観察し、死の可能性すら淡々と検討している。本書の主人公はそのようなタイプの登場人物であり、このような「殺しの巡礼」を始めるまで自分ではわかっていなかったとはいえ、まさに冷静冷徹なスパイそのものの造形である。
 血湧き肉踊るアクションは、他の作家に任せるべきであり、本書にそれを求めるのはそもそも畑違いである。ここを見誤ると「クライマックスがない」などと見当違いの不満を抱く羽目になってしまう。それはあまりにも勿体ないのではないか。コンラッド・ハーストが、壊れたままの精神を引きずりながら自分を探し、人間味を少し取り戻す過程は、なかなか魅力的なのだから。本書は登場人物の内面に眼を注ぎつつ読むべきなのである。
……というわけで、勘違いしないよう注意しつつ、じっくり読んで欲しい逸品である。