不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

サーカス象に水を/サラ・グルーエン

サーカス象に水を

サーカス象に水を

 地上最大のベンジーニ・ブラザーズ・サーカスは、その日も盛況で、今しも象の曲芸が始まろうとしていた。しかし楽団は曲芸に付ける伴奏の代わりに、非常事態を告げるマーチを奏で始める。動物たちが檻から逃げ始めたのだ! 混乱の中、若き団員ジェイコブは象とその近くにいる恋人を探し求め会場を駆け抜ける――そして70年後。93歳になったジェイコブは、老人ホームの中で暮らしていた。そこで彼は、70年前の真実を打ち明け始めた。
 こういう話は大抵の場合、主人公が老人になったパートは最初と最後だけで、基本的には若い頃の話として語られ、老人の懐旧は最初と最後に薬味として作品に取り入れられる。しかし本書は、老人パートと青年パートがほぼ交互する。この結果、70年前がまさに思い出であること、70年の時間の重みと老いの残酷さが強く打ち出されるのである。93歳のお爺ちゃんになってしまったジェイコブは微妙にボケ始め、頭も固くなって他の老人との交流もうまく行かず、しかし彼の子供たちも既に70近くで自分たちのことで精一杯、今一番そばにいて欲しい愛妻も既に亡い。だからこそ、人生の岐路に立っていた70年前のサーカスでのあの時あの人々が(良かったことも嫌だったことも含めて)懐かしく思い出されるのだ。激しい恋、篤い友情、立ち向かうべき困難、愛すべき象……全てはこれほどまでに活き活きとしていたのである。サーカスという、一種ファンタスティックで非日常的な空間を舞台に選んだことも大いに奏功している。瑞々しさと老いの翳りが絶妙なバランスをとった小説、これは実に素晴らしい。そして、本書が持っている手作りの質感と普遍的な訴求力を見れば、アメリカでの口コミによる浸透は非常に「らしい」と思われた。もし国内作品だったら、いい意味で本屋大賞向きの作品となっただろう。
 なお、本書はある殺人事件を扱ったミステリでもある。真相を見抜くことは正直造作もないが、強くも弱くもない感傷を纏う本書のような物語には、こういったちょっとした仕掛けこそが似つかわしい。