不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

ジョーカー・ゲーム/柳広司

ジョーカー・ゲーム

ジョーカー・ゲーム

 潜入した敵国で捕われ拷問を受けたが、耐え切った上に更なる秘密情報を得て逃走に成功した――そのような伝説の過去を持ち「魔王」の異名をとる結城中佐の発案により、スパイ養成組織《D機関》が陸軍内に設置される。そこで結城は、「死ぬな。殺すな。とらわれるな」を是として、教え子にして部下であるスパイらと共に、軍部内の思想信条を嘲笑するかのような態度をとる。反発を受け当初は冷遇されるD機関だったが、スパイ技術を駆使した権謀術数によって、次第に存在感を示し始める……。
 D機関にまつわる5つのエピソードを収めた連作短編集であり、作品ごとに主人公は異なるが、いずれも結城がトリックスターとして暗躍し諜報戦を演出、雰囲気を有無を言わせず統一している。戦争と軍国主義の暗雲を思わせるこの暗い筆致こそが本書最大の読みどころである。本書はスパイ小説だが、スパイ小説と一口に言っても色々あるわけで、国際情勢や社会情勢の詳細な把握をベースにした現実味あふれる国際謀略小説が展開されるとは限らない。この点、『ジョーカー・ゲーム』は、諜報戦の結果起きた(または諜報戦に資するべく起こされた)事件や出来事をミステリ・タッチで語るが、その事件または出来事の上に確実に存在するはずの国家的戦略は一切語らない。「あるスパイがこんなことをやった/やろうとした」とまでは語られるのだが、「そのスパイの活動が国家にとってどんな利益または損害を生むのか」ということには完全にノータッチなのだ。ゆえに本書は、国際謀略小説としてはスケールが小さい。国家レベルの事項には全く言及されないのである。扱われるのは、国家の末端が自分の目で見ている範囲内のものに限られているのだ。
 というわけで本書は遠望がきかないが、代わりにクローズアップされるものがある。それは、軍人たちのいかにも日本人的な精神論と、スパイの非情かつ冷徹な現実主義の対比である。しかし読んでみると一発でわかることだが、両者はいずれも明らかに歪んでいる。そして、我々はこの後日本がどうなったか知っているし、結城中佐のキャラが実に不気味に描き出されていることもあって、全編は沈鬱な不安感に覆われることになるのだ。本短編集は、ミステリ仕立ての事件またはプロットの力を借りて、閉塞し戦争に向かう日本軍の姿をファンタスティックかつ象徴的に描き出しているわけで、この点で読み応えたっぷりである。なるほどこれは面白い。ミステリ要素が少々軽いのは残念だが、この雰囲気を維持したまま、同シリーズの長編としてもっと重量級のミステリネタを持った作品を書いたら、それが確実に作者の代表作になるだろう。