不壊の槍は折られましたが、何か?

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山口雅也の本格ミステリ・アンソロジー

山口雅也の本格ミステリ・アンソロジー (角川文庫)

山口雅也の本格ミステリ・アンソロジー (角川文庫)

 山口雅也による初のアンソロジーとなる。
 とにかく全作品が圧倒的にこてこてで、山口雅也が自身の《嗜好》の精髄を嘗め尽くしているかのようだ。彼の諸作のように、本格の何らかの構成要素に特異または異常なエフェクトを効かせた作品が大半を占めるが、その《こだわり》のマニアックさといったらない。ほとんどパラノイアの領域にさえ達している。
 たとえば冒頭のジェイムズ・パウエル「道化の町」からして、住民全員(もちろん警察も!)が道化であるという町が舞台なのだから尋常ではない。しかも雰囲気は予想に反して、退廃的で悪夢めいてすらいるのだ。続く坂口安吾「ああ無情」も、淡々と見せかけて異様に情報密度の高い文章に乗せて、事件の様相を次々変転させることにこだわり抜いたマニアックな本格である。星新一「足あとのなぞ」のお間抜けオチも、このアンソロジーの並びでは、「意外な謎」と「意外な解決」を連結するロジックが不在であるという虚無を見据えた怖い作品と感じられてくる。
 その他、漫画作品も密室作品も幻の作家の作品も、基本的な事情は変わらない。即ち、本格の「何か」に対して作者がこだわった、あるいは編者のこだわりゆえに何かが見える作品が、ページを埋め尽くしている。概して文章の情報密度が高いこともあって、本書は一冊トータルだと歯応え満点である。
 本書で特筆すべきは、リドル・ストーリーと他の作者が書いたその解決編があること、SF界の巨匠が書いた密室SFまでもが含まれていることである。リドル・ストーリーそのものや、アシモフやバラードの所収作品は、一般的には本格とはみなされないだろう。しかし、本アンソロジー中の一作として相対した場合、確かにこれは「山口雅也の思う《本格》である」ことが如実にわかるようになっているのだ。それは、山口雅也の本格観が相当に広く、そしてその広さをもってしても、初心者を拒絶しかねないほど強烈な《本格マニア》性はいささかも損なわれないことを示している。これは即ち、画一的な定義を《本格》に押し付けるのは無意味である、ということでもあろう。
 はっきり申し上げれば、本アンソロジーは、単に楽しい小説を求める読者におすすめできるものでは全くない。山口雅也は本書を編むに当たって、偏執的なこだわりを剥き出しにしており、その選定結果である20編を連続して読むと非常に疲れる。しかしその疲労感は、本アンソロジーの趣旨を踏まえた本格マニアにとっては、非常に心地よいものなのである。マニアはこれを読み、本格の鬼であるところの山口雅也の《本格観》から、広くて濃い何かを学ぶべきなのである。