不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

密室と奇蹟/J・D・カー生誕百周年記念アンソロジー

 7人8人の名手が手向ける、J・D・カーへの献花。いずれも本気度の高い創作になっており、読み物としては非常に満足できる。ただしこれは最初に言っておきたいのだが、柄刀一二階堂黎人は、その質はさておき、他の作家の倍の長さの作品を出して来ている。依頼枚数を守れなかったようが、これを守るのはプロの著作家として最低限の能力であり、これが低いと出版社としても依頼を出しにくかろうと思う。またアンソロジーの場合、内情を知らない読者は目次を眺めて、「ふうん、柄刀先生と二階堂先生は、より多くの枚数を割かれているのだから、芦辺、桜庭、田中、加賀美、小林、鳥飼よりも偉いんだ」などと誤解しかねない。これでは他の作家に失礼であろう。困ったちゃん・トンデモさん・無敵くんには何を言っても無駄であり、東京創元社に限らず、枚数制御能力がない著述業者と付き合う編集者にご苦労は多かろうが、私には黙礼を捧げることしかできず、忸怩たる思いである。
 以下、内容。
 芦辺拓「ジョン・ディクスン・カー氏、ギデオン・フェル博士に出会う」は、本アンソロジー中、最高のネタ濃度を誇る。取材、仕込み、描出、いずれも凄まじいものがある。いかにパラノ・タイプの作家である芦辺拓とはいえ、ここまでコテコテのものを連発することはできないはず。まさに、素晴らしいとしか言いようのない一編だ。
 桜庭一樹「少年バンコラン! 夜歩く犬」もこれまた素晴らしい。1900年パリの夜の情感が濃厚に立ち上り、そこで作者お得意の少女小説が展開される。少年を描こうという試みも明確に打ち出されており、なかなか興味深い。なお本作は、バナナを出さないで「妖魔の森の家」へのオマージュを僭称した『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』の讀罪でもある。あの数行には爆笑してしまった。
 田中啓文忠臣蔵の密室」は、浪士が討ち入ってみると吉良上野介は既に刺殺されていた、というミステリ。密室ものとしては恐らく本アンソロジー中、もっともすっきりとまとまっているのだが、はてさてカーとの関係やいかにと思っていると……。まあこれは苦笑して流すしかないです。好きだけど。
 加賀美雅之「鉄路に消えた断頭吏」もなかなか頑張っている作品。フェル博士が登場し、客車での首なし死体の謎を解く。普通に面白い。……しかしあなた、このラストは、やっちゃいかんのでは……。
 小林泰三「ロイス殺し」は、小林節が炸裂する、ホラーとミステリが融合した一編。雪に閉ざされた世界と、そこでの冷え冷えとした恋情、そして狂気。この手の気持ち悪さ(今回はグロではない)を書かせたら天下一品である。ただし、ゆえにアンソロジーの中では若干浮いている印象も受ける。もちろん、こういった作品がカーに捧げられるのも一興ではあるのだが。おこなわれるのは密室殺人だしね。
 鳥飼否宇「幽霊トンネルの怪」は、トンネルで不思議なベンツに追いかけられる事件を扱う。トンネルを密室に見立ててはいるものの、事実上はより広い意味での不可能犯罪ものといえるだろう。これまた普通に面白く、時折顔を出すユーモアもおいしくいただける。カーとの関連性は微妙というか、まさか「マーチ大佐」と「カー・ミステリ」だけですか?
 柄刀一「ジョン・D・カーの最終定理」は、カーが実際に名探偵だったのだと設定し、彼の所有していた犯罪実録集に残した走り書きから、過去の未解決事件の糸口を探ろうとする物語。愛が篭っているからそれほど不快ではないが、凄い電波ですね。迸る思い入れを、創作としてしっかり落とし込めていない印象を受けてしまった。カーにこんな定理風の文章書く才能あったのか、疑念を抱きながら読まざるを得ないのも据わりが悪い。しかし、事件の内容やカーの実作との関連性、そしてラストはいいですね。総じて言えば、柄刀にしか書き得ないカーへのオマージュであり、面白くは読めました。
 二階堂黎人「亡霊館の殺人」は、骨子そのものはなかなか面白い本格ミステリ。ネタの完成度もやはり高い。ただしもっと刈り込めたはずで、無駄な部分の多い文章はちょっとどうかと思う。犯人が正体を現してからの悪鬼ぶりも、浅薄というか、犯人の属する性の人間は作者に反感を抱くだろうなあ。二階堂らしくはあるけど。