不壊の槍は折られましたが、何か?

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賢者の贈り物/石持浅海

賢者の贈り物

賢者の贈り物

 登場人物には物語終結後にも人生があるはずで、そこに広がる可能性を摘み取りたくないからああいったラストを用意することが多い、との意見を数年前に石持浅海は述べていた。推理小説はその構造上、どうしても事件には決着をつけねばならず、それに引き摺られて、人間ドラマ上の問題も一気に解決されるものと読者は期待してしまう。石持浅海はこれに真っ向から対立する立場を取っているに等しい。彼は実は茨の道を歩んでいるのだ。
 本書『賢者の贈り物』は、ある意味その作家性が行き着いた、一つの極致である。260ページに10編の短編が収められているが、いずれの作品でも、登場人物が下した推理が正しいかどうかは明示されない。ラストで後日譚が語られる作品でも、多分正しかったのだろうと推測できる程度で、確かなことは全く確認できないのである。ましてや、後日譚のない短編では、推理の当否は確認どころか想像する材料すら提示されない。探偵役を務めた人間の単なる妄想でしたチャンチャン、でも全く不思議ではない。そして真相が語られず、事態がどのように収拾されたかもはっきりしないのだから、物語は総体としてもリドル・ストリーに限りなく近付く。実際、「金の携帯 銀の携帯」と「玉手箱」は他の推理作家が真相を考えるという企画が持ち上がっても不思議ではないほど、見事なまでにリドル・ストーリーである。
 この興趣を更に盛り上げるのが、全編に登場する「磯風さん」である。この若い美女は、しかし登場する度に境遇がまるで違っていて、同一人物なのか同名異人なのか、さっぱりわからないのである。あるいは彼女には、本書で語られなかった詳細な裏設定があるのかも知れぬ。その逆で、実は何も考えられていないもかも知れぬ。だがそれは語られない。何故なら――石持浅海が磯風さんの人生の可能性を摘み取りたくないからである。
 というわけで、登場人物の人生を縛りたくないという《優しさ》は、このように実に奇妙な作品集を生み出してしまったのだ。珍無類だが、サクサク読めて推理そのものは面白く、一見マトモな本格ミステリっぽいのが興味深い。ミステリでこねられる屁理屈が好きな人にはオススメしたい。