不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

時計ネズミの謎/ピーター・ディッキンソン

Wanderer2006-07-18

 著者名は本に則って「ディッキンソン」としたが、ピーター・ディキンスンと同一人物なので注意願いたい。
 まあそれはともかく、『時計ネズミの謎』は絵本である。しかし、ほぼ全てのページで絵よりも文章が多く、漢字の使用頻度も《ミステリーランド》辺りよりは確実に高い。したがって、『銃とチョコレート』辺りを読みにくく感じた成人も普通に読めるはずなのだ。しかし、漢字を最低限読めるようになった児童にも十分アピールできるほどの読みやすさは備えている。しかも、話の内容も、退廃的な情感がほとんどなく、そればかりか暗くさえなく、基調としては明るいとさえ言える。全編通してさらさらと読めるため、あのディキンスンとしては異例なほど万人向きだ。とはいえもちろん、《考えさせられる》要素は様々に取り揃えられており、実は侮れない作品でもある。
 まず、一人称の主人公は、未婚の時計職人である。問題は彼の年齢だ。文中では70代ともとれるような発言が散見されるが、絵の方は禿げた冴えない中年男。ということで、この文章をそのまま受け容れるべきか、ディキンスンの意思に反して単に画家が若く描いてしまっただけなのか、それとも実は主人公は実際に中年に過ぎず、70代の老人というのは単なる韜晦なのか。悩みは尽きない。
 そんな主人公が、祖父の作った時計塔*1の修理を依頼される。しかしこの時計塔には、テレパシー能力を持った知能高きネズミたちが暮らしていたのだ……! という薄いSF風味の味付けのもと、時計塔の修理とネズミたちを巡る出来事を綴る。
 主人公の語り*2は頻繁に脱線するが、不思議と一本の話として最初から最後までまとまりを失わない。うまい。またほぼ全局面において、単一の価値観に警鐘を鳴らす。科学もまたディキンスンの前では数ある《単一の価値観》の一つに過ぎない。画一的なものの見方には根深い疑念が呈されるが、それはペシミスティック・アイロニカルな雰囲気をもたらさない。代わって表出されるのは、単一の価値観では測れないという《世界》の、いいようもない豊穣さそのものである。この豊饒性こそ、『時計ネズミの謎』のメインメッセージに他ならない。
 ディキンスンがこれほどまでに素直に、世界の素晴らしさを表現したことなどかつてあっただろうか? あったかも知れないが私は知らない。ただただ私はこう言えるに過ぎない。『時計ネズミの謎』を私は気に入ったのだと。今ならまだ手に入るかもしれない。ファンは必読。

*1:これは仕掛け時計で、毎日定時になると女神や人々が出て来て踊るのだが、毎回、人々は死神に殺される。こんな時計を童話に出すなんて、まさしくディキンスンの面目躍如たるものがある。

*2:主人公の想定する相手が子供たちであることは間違いない。しかし、ディキンスンの想定する読み手が子供たちばかりであるかについては、慎重な検討および考察を要する。