不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

リヴァイアサン号殺人事件/ボリス・アクーニン

リヴァイアサン号殺人事件―ファンドーリンの捜査ファイル

リヴァイアサン号殺人事件―ファンドーリンの捜査ファイル

 1878年3月15日、パリの貴族の館で貴族も使用人も皆殺しにされ、黄金のシヴァ像が盗まれる大事件が起きる。ところが2日後にシヴァ像が捨てられているのが発見され、この凶悪な犯人は一体何がしたかったのかとパリっ子たちはいぶかしんでいた。一方捜査を進めるゴーシェ警部は、犯人が豪華客船リヴァイアサン号(インドへ向かう)の一等船室に乗り込むという確かな証拠を掴み、身分を隠してこの船に乗り込むのであった。そしてそこには、ロシア帝国外交官として日本へ赴任する途中のファンドーリンも乗り合わせていた……!
 少なくともモスクワでは新刊が出るたびに必ず山積みになり、ロシアのエンタメ系作家では最も有名とされるボリス・アクーニン。ファンドーリン・シリーズは、その彼を代表するシリーズとのことだ。
 妖しい謎の財宝、犯人当て(結構水準高い!)、豪華客船における活劇などなどがこれでもかと繰り出され、実に楽しく読み通すことができる。これだけでも十分面白いが、単に楽しいだけの娯楽小説に終わらないのが素晴らしい。
 もちろん、単に楽しむだけの読み方も何ら問題ないのだが、たとえば視点設定が実に巧みである。『リヴァイアサン号殺人事件』の視点人物は単一ではなく、一等客室の乗客が入れ代わり立ち代り務めるのだが、各視点人物の価値観や人格がそれぞれ明確に打ち出されるため、ガジェットに依存せずとも、読解における多様性を担保することに成功している。だいいち、5名もの視点人物を明快に描き分け、読者も全く混乱しないことがどれ程凄いことか。また、彼らの中には洋行帰りの日本人もいて、東洋と西洋の価値観の違いも(娯楽小説的な多少の誇張はあると思うが)しっかりと打ち出されるのである。
 というわけで、非の打ち所もない娯楽性と共に、文学的深読みへの橋頭堡すら用意された、素晴らしい作品であった。この作家の更なる訳出を望む。