不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

レッド・マスカラの秋/永井するみ

 十七歳の私、三浦凪の友人が、東京ガールズフェスティバルに出ることになっていた。友人の名前はミリ。『カカオ80%の夏』で知り合った十代のモデルである。当日ミリは、知る人ぞ知る企業の新商品、レッド・マスカラを塗って登場、観客にマスカラの強い印象を残す。しかし、ミリがそのマスカラを勧めたせいで、まぶたが腫れし当日欠場となった人気モデルがいるらしい……。ミリは、モデル仲間から、ライバルを蹴落とすため肌に合わないマスカラをわざと勧めたと責められる。凪は、そのモデルの欠場が本当にマスカラのせいのか、それとも他に理由があるのか探ろうとするが……。
 主に舞台となるのは、主に代官山・渋谷である。三十路どころか四捨五入して三十になると、やや行きづらくなる街だ。で、ここで主人公はじめ、女子高生や女子大生、あるいは同じ年齢層の若者たちが、事件を起こし、謎を追い、友情や敵意を育むのである。この登場人物たちの人物造形がうまくはまっているのだ。もっとも、リアルか否かは私には判断できない。というか、作者自身も書評家(私まで含める)も、言っては悪いが作中人物に比べればおじさんおばさん揃いであり、真にリアリスティックかは判断不可能である。ゆえに、『レッド・マスカラの秋』も、本当に若い人から見るとおかしなところは多々あるかもしれない。しかし重要なのは、たとえそうであったとしても、『レッド・マスカラの秋』を、作者はあくまで登場人物たちの視線をもって等身大に描いているということだ。
 事件は、十七歳の登場人物を中心として起こる。そもそも、主人公の凪も女子高生であり、彼女自身を含めて、若年の登場人物のキャラクターが、非常に鮮明に浮かび上がってくる。それも、じっくり描いてページを追うごとに印象が深まるような描き方ではなく、最初からきっぱりと、個性豊かに打ち出されるのである。このシリーズに倦怠感や停滞感は希薄で、若者らしい爽やかな喜怒哀楽、青春の躍動に満ちているのだ。もっともプラスの側面だけでなく、ハイティーンたちが将来に抱く漠然とした不安感、そしてそれ以上の影といった部分も、非常にうまく掬い上げている。作者の筆致は実に丹念であり、実際の十七歳の読者がどう思うかは(私はおっさんなので)わからないが、少なくとも上の世代にとっては、何の違和感もなく読めるに違いない。
 こういったことは、本来であれば『カカオ80%の夏』を読んだ時点で気付くべきであったが、『レッド・マスカラの秋』は、人物造形のクリアネスがより強く打ち出されており、遅ればせながらやっと認識できたのである。なお、『カカオ80%の夏』同様、ストーリーに若干ご都合主義の気があるので、全面的には賞賛しかねるが、新発売のマスカラに絡んだ陰謀、といった、大半の男性読者にとってはどうでもいい事件を、一定の興味を維持したまま読めるのは素晴らしい。プロットがもう一化けしたら、このシリーズは確実にブレイクすると思うのだが……。