不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

NHK交響楽団

  1. 小林研一郎パッサカリア
  2. 武満:ウォーター・ドリーミング
  3. (アンコール)ドビュッシー:パンの笛
  4. R・シュトラウス交響詩ツァラトゥストラはかく語りき

 フルート独奏:エミリー・バイノン
 指揮:ウラディーミル・アシュケナージ

 小林研一郎の《パッサカリア》は、酷い曲であった。不勉強な熱演指揮者として有名なコバケンこと小林研一郎(日本フィル音楽監督)が、ないセンスと頭で何とかでっち上げたメロディーを、30分の曲にすべく無理矢理こねくり倒す曲。構成も音響もリズムもへったくれもない。綺麗だなと素直に思わされる瞬間があっても、例外なくソロのシーンだったりする時点で、管弦楽曲として落第確定。こんな曲で良ければ誰にでも書けます。もちろん私にも。この曲を聴いてイイと思ったから取り上げたアシュケナージは、指揮能力ばかりか鑑賞能力も欠如しているらしい。本当にどうしようもないゴミなんだなぁ。
 《ツァラ》は最初のうちは素直な音をN響から引き出していてちょっと感心しかけた。このまま行っておけば、「アシュケナージ、悪くないぞお! 皆が言うほど悪くないぞお!」と終演後叫んでいたかも知れない。だが、曲が進むにつれうんざりしてくる。その瞬間に鳴っている音自体は良いとしても、それをもってアシュケナージが何をしたいのかさっぱりわからん。全体の曲の構成とか全く考えずに、目の前にあるスコアのページを音化しているだけ。しかも唯一そこそこだった音自体もどんどん荒れてくる。内声とか全くわからないんですけど。早めのテンポで進むのも、それ自体はいいんだが、メリハリがまるでなし。情緒的な部分もソワソワしていて駄目なことこの上なし。同じ速いテンポでも、普通はキビキビしてるもんじゃないですか。これじゃ単に落ち着きがないだけじゃん。ずっと貧乏ゆすりしているような品のなさ。リズム感の悪さも特筆すべきで、ワルツの箇所とかもう最悪。ゴチャ付く響きと相俟って、実に聞き苦しい演奏であった。ラスト近くでは木管金管共に、ことごとく出がずれていて笑いさえこみ上げてきた。

 ウラディーミル・アシュケナージは、世紀の虚名音楽家である。ピアノと指揮の二足のわらじを履き、そのいずれもが圧倒的にくだらない。にも拘らず、アシュケナージは大変有名であり、生半可にしかクラシックを知らぬ、何もわかっていない人々は、彼がNHK交響楽団音楽監督になった事実に驚愕し、喜び、期待する。
 ピアニストとしての彼がいかにゴミかの話は別の機会に譲るが、指揮者としても彼は実は全く成功していない。彼はロイヤル・フィル、ベルリン・ドイツ交響楽団チェコ・フィルの首席ないし監督を務めたが、いずれの楽団も世評の上では、(悪いオケではないものの)世界のトップクラスに位置する盛名を誇らない。これは厳然たる事実である。もちろん個々のファンに言わせればそんなことはないのだが、それらは飽くまでも局地的な見解であって、大勢には何の影響もない。そして、全てのケースにおいてアシュケナージ在任期間中にその評判を落としているのだ。また、事実としてアシュケナージは、当然のことながらウィーン・フィルを振ったことがなく、ベルリン・フィルも同じく振ったことがなさそうだ。少なくとも常連ではない。録音を通してだと、コンセルトヘボウやクリーヴランドを指揮していたが、果たして実演の上ではどうだったのか。レコード会社(当時は凄い大手だったデッカ)に強要されての共演だったのではないかと思えてならぬ。そしてそのように無理矢理作られたレコードは、全く売れなかった。常日頃からクラシックのCDを購入している真のファンたちには、基本的に見向きもされなかったのである。そしてクラシックCDの売上が落ち込み、デッカの業容が縮小してゆくと、アシュケナージとそれらの楽団の録音は途絶えた。今彼の指揮者としての録音は、旧東側ということでコストの安いチェコ・フィル、或いはマイナーな存在であるアイスランド交響楽団、金を出せば頻繁にバイトするロンドンのオーケストラ、そしてNHK交響楽団との共演で、日本の会社が自ら録音し、日本ローカルでしか発売されていないようなものばかり。欧米でもリリースされるようなCDは、ライブ録音という形でも全く出て来なくなった。本当に大物とされている指揮者の録音は、旧来のメジャー会社に切られても、マイナーなレーベルからライブ録音という形でちょろちょろ出続けているのに、アシュケナージにはそういうことが全くない。要するに欧米的には、指揮者アシュケナージは不要なのである。
 以上に述べたアシュケナージ観は、断じて《カラヤンには精神性がない》などの《メジャーな存在にはとりあえず文句を言って自己満足に浸る》類の暴論ではない。私は自分が真実を捉えていると自信を持つことは滅多にないが、これは120%の自信を持って言い切ることができる。アシュケナージはゴミであり、聴いてもそれがわからぬ奴は全員トゥンボだ。……ただし彼らの音楽聴取を阻むべきかには迷いがある。
 本日会場を出るとき、30代のカップルと見られる人々がこのような会話を交わしていた。「良かったね」「超一流の芸術家だからね」腹が立ち、殴りそうになったのは事実だが、そもそも演奏会とは、彼らのようなド素人、何もわからぬ人たちも来てくれるからこそ、興行として成立する。確かにアシュケナージのコンサートはアレだけれど、彼らがクラシック音楽に金を落としてくれるからこそ、私のようなキモヲタでも十分満足できるコンサートが開催される。演奏会は生ものである以上、数をこなさねば真の満足には到達できない。その前提となる《数》を保証してくれるのは、我らキモヲタではなく、何も知らないド素人の皆様である。音を立てて演奏会を妨害する不逞の輩でない限り、殺害云々は問題とするべきではない。でもやっぱりムカつくんだよなあ。アシュケナージで満足してしまう感性ってどうよ。音楽を聴いても仕方ないのは間違いない。誰か、こういう人々から金だけふんだくるシステム考えてくれないかなあ。

 ……なお、武満徹の《ウォーター・ドリーミング》およびアンコールは、バイノンの独壇場という感じで非常に良かった。やはり武満やドビュッシーは繊細な演奏が合ってますねえ。