不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

NHK交響楽団第1704回定期演奏会

15時〜 NHKホール

  1. プロコフィエフ組曲《3つのオレンジへの恋》op.33a
  2. プロコフィエフピアノ協奏曲第2番ト短調op.16
  3. (アンコール)スクリャービンエチュード嬰ハ短調op.2-1
  4. シベリウス交響詩《大洋の女神》op.73
  5. シベリウス交響曲第7番ハ長調op.105

 ピアニスト目当てで行った演奏会である。プロコフィエフシベリウスという、割と無茶だがそれなりに見かけないこともない組み合わせも面白い。
 さて最初の《3つのオレンジへの恋》だが、例によってアシュケナージは主旋律の方を向いてブンブン指揮棒を振りまわすことしかやっておらず、内声部とかあんまり気にかけてないのが視覚的にもわかってしまう(聴感上わかるのは言わずもがな)。それでも曲が割とカッチリ系だし描写性が高い、加えて各曲は短いということもあって、聴くに堪えないということもなく、どういう曲かははっきりわかる演奏となっていた。そこにこの演奏ならではの魅力が全く付与されていないというのは問題だが……。
 目当ての協奏曲はピアニストの快刀乱麻を断つ軽快な指回り、そして基本的には明朗な節回しが印象的。でも迫力やドス黒い情念もとりこぼしているわけではなく、不気味な箇所はちゃんと不気味に鳴らされていて、万全の演奏が展開されていました。またアシュケナージの指揮は、さすがに自分が弾いて録音を残している曲だけのことはあり、でかい音でピアノを消し飛ばすような箇所は仕方ないにせよ、随所でピアニストの演奏に従っていてなかなか面白かった。なおテンポ設定は速めでした。アンコールのスクリャービンは、深い呼吸でしっとり演奏されて引き込まれました。これは来週のリサイタルが楽しみです。
 休憩後のシベリウス、《大洋の女神》は、主に木管で断続的に明滅する主旋律はなかなか美しく奏でられていたものの、恐らく波を表しているのであろう弦楽器の扱いがまるで駄目で、全く意味を感じさせなかった。アシュケナージの悪い癖炸裂、といった感じでこれは酷いと思いながら聴いておりました。《タピオラ》やら交響曲第4番は、目も当てられんだろうなあ。
 ところが最後の交響曲第7番が素晴らしくて驚愕。通常はもっと鋭く厳しく奏されると思うんですが、アシュケナージは慈しむように、どの瞬間も温かくて柔らかに扱っていました(アレグロの部分ですら!)。スケールは大きくないけれど懐が深く、素直に感動。フィンランドの寒冷な自然を思わせる演奏ではなく、民家の中の暖炉の前で、暖を取らせてくれるかのような印象すらありました。こういうのを本当にヒューマニスティックな演奏と言うんだろうなあ。なおオーケストラが咆哮したのは、コーダのシードーだけ。とにかくずっと、ソフト路線だったのです。帰る道々考えたのですが、シベリウス交響曲第7番は全てが凝縮に凝縮を重ねた音楽になっており、旋律線すら最低限のものに絞り込まれている。よって鳴っている動機は全て主旋律と言っても良いぐらいで、主旋律にした意を注げないアシュケナージのような指揮者でも、意外と何とかなってしまうのかも知れません。ただしこのソフトな音自体は明らかにアシュケナージの指示でしょう。私が感動したのは、この音そのものに対してです。実はそれほど無能な指揮者でもなかったということか。オーケストラの瑕が「出」に集中していたことから、やっぱりアシュケナージの指揮は見にくいんだろうなあと思わされましたが、実は皆が言うほど悪くない指揮者なのかも。