不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

クリーヴランド管弦楽団来日公演(東京3日目)

19時〜 サントリーホール

  1. ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
  2. 武満徹:夢窓
  3. ブルックナー交響曲第7番 ホ長調

 今日からフル編成で、指揮者も音楽監督のメスト。いよいよこのオーケストラの本領発揮といった感じだろうと大いに期待して臨んだわけである。
 どの曲目でも、クリーヴランド管弦楽団のしっとりとした音色をベースに、きびきびしていると同時に大変滑らかな演奏が展開された。恐らく「きびきび」は、先週ウィーン・フィルでも同様だったことから、メストの要請だと思われる。滑らかについては、ウィーン・フィルサウンドが随分硬い上に粗かったために、100%メストの指示によるかと言われると判断保留といったところ――とウィーン・フィル信者ならば言うんでしょうが、残念ながらチューリヒ歌劇場の来日公演も非常に滑らかだったので、これまたメストの指示だと思われます。ウィーン・フィルとは相性が悪いのか*1、それとも当日は練習不足だったのか*2、コンディションが悪かったのか*3、運が悪かったのか*4、それとも単純にウィーン・フィルは下手なのか。私の判断は今、一番最後に大きく傾いています。
 今日の演奏会に話を戻して、とにかく最初の《牧神の午後への前奏曲》から音そのものに圧倒された。決して上手とは言えないウィーン・コンツェントゥス・ムジクスウィーン・フィルNHK交響楽団の後に聴いているので、余計にそう感じたのかも知れない。メストのコントロールも万全に聴いており、ちょっとした動きに対しても細かく指示を出していた。なおウィーン・フィルとの演奏からはあまり感じとれず、チューリヒ歌劇場の来日公演にはふんだんにあった《高貴な香気》が、この最初の曲から随所でふわりと醸し出されていたことは特筆しておきたい。続く《夢窓》も素晴らしいサウンドを堪能。侘びとか寂びとかを表現しているのにこの明晰さと緻密なニュアンス付けは何だけしからん、などと言い張ることも可能な音作りではありましたが、単純にこのサウンドにやられた。そして先日NHK交響楽団で聴いた《グリーン》の、あれはあれで結構美しかったはずの奏楽を思い出し、彼我の絶望的な差にため息をもらす。ところでよく考えると、メストのフランス音楽や日本の音楽は、今後も録音が発売されることはないかも知れない。何せオーストリアの貴族の家の指揮者(ただし養子)が、ウィーン国立歌劇場音楽監督になっちゃったのだから、マーケティング的には独墺系に録音が偏るよなあ。
 後半のブルックナーは、前半に比べると「前へ前へ」出ようとする推進力が強調されており、しかもテンポは速めで音楽は沈潜せず、常に流れる。サビでもそこまで粘らないし、サウンドの重心も高め、サウンドもぼけることは一切なく終始くっきりはっきりしていた。オーケストラも素晴らしく上手いし、メストも美しい箇所は本当に美しく演奏させている。つまり「老巨匠の末法臭いブルックナー*5」では全くないわけで、そういう連中が決まって意味不明に敵視するアメリカのオーケストラによる演奏だということも相俟って、今日の演奏を底が浅いと酷評する向きは結構いるはずである。しかし私は、今日の演奏は素晴らしいと感じた。高水準の技術に裏打ちされ、かつ美麗ではあるけれどかなりストイックな解釈が施され、輪郭がくっきりと立ち上がる音響絵巻としてのブルックナーもまた、素晴らしいと思うからである。この曲はブロムシュテット指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団で聴いたことがあり、その際は感動のあまり本当に泣いた。今回は泣かなかった。でもメストの方向性が間違っているとは思わない。加えて、細部のニュアンス付けがかなり細心に、そして繊細に施されているのも聴きどころだった。随所でふわりと芳香が漂う。ウィーン・フィルとの演奏ではついぞ聴き取れなかったこれを、今日たっぷりと楽しめたのは本当に嬉しい限りである。
 なおクリーヴランド管弦楽団に瑕がなかったわけではない。首席クラリネットが息漏れのような変な音を立てていて「またお前か」と苦笑したし、ホルンやオーボエなどにもミスがあった。加えて、ちょっとアンサンブル全体が危うくなりかけた箇所も二か所ぐらいあったような気がする。しかしウィーン・フィルと異なるところは、それらが上手く誤魔化され、ミスの連鎖は起こらず、集中力も最後まで保たれていたということだ。メスト指揮下によるブルックナー勝負、今回はクリーヴランド管弦楽団の勝ち、それも圧勝である。

*1:メストはウィーン国立歌劇場音楽監督だから、そのオケを母体とするウィーン・フィルと本当に「相性が悪い」のであれば目も当てられないので、そうではないと信じたい。

*2:直前のウィーンでは演奏会にかけてますが、まあネルソンスやらプレートルやらが間に入っていたし、プローべも当日午前中だけだろうから、「やったことを忘れた」んじゃないかと好意的に解釈して差し上げることは可能。あえてそんな甘い解釈を施して差し上げる義務はないし義理すらないけれどね。

*3:今回の来日中には団員が事故死したりして、結構動揺した面はあったはず。

*4:どんなに上手い演奏者でも、上手く行っていたはずの演奏会でも、ポカする時はするんですよね。それも盛大に。

*5:これが日本のブルックナー・ファン――特に宇野チルドレンにとっての「ぼくのかんがえたブルックナー」になっている。