不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

ケルベロス第五の首/G・ウルフ

ケルベロス第五の首 (未来の文学)

ケルベロス第五の首 (未来の文学)

繊細にして精妙、詩的な一幅の絵画。不確定性原理が壮麗なフィクションに体現されている……ウルフの素晴らしさを前に、わたしは言葉を失う》
――アーシュラ・K・ル=グィン

 帯に小さく印刷されているこの惹句こそ、『ケルベロス第五の首』の全てを語りつくす至言である。
 この作品は無限の深読みを底無しに許容し、また深読みされずとも、その至高の語り口は読む者を翻弄し、圧倒する。詩的な情緒と、極度に緊密な構成は、いささかの違和感もなく両立していて素晴らしい。特に、各種の符合はあまりにも精妙であり、再読・再々読・再々々読・(以下略)においてさえ、様々な解釈が去来して読者を惑乱させるだろう。そして、読者側のそういった様々な解釈さえ、全て作者の計算の内ではないかと思わされる。ウルフが想定しなかった《読み》をする者が、世界に一体何人いるのだろうか?

 敢えて言おう。この作品に限っては、一人で読んで全てを悟った気になるのは勿体ない。神とジーン・ウルフ以外では、この作品の全てを一人で理解することは不可能であろう。殊能将之が指摘した、ジェイムズ・ジョイス言うところの《理想的不眠症を患う理想的読者》を活用しない手はない。その読者なら、或いは全てを読み取っているやも知れぬからだ。

 とにもかくにも、SFミステリの最高傑作。本格ヲタだろうがSFマニアだろうが純文読みだろうが、つべこべ言わず読め。前文の表現から純文に対する私のコンプレックスを嗅ぎ取ろうが取るまいが、いいから他人の感想を収集しろ。SFにした意味がわからんとか言っている場合ではないのである。

 もちろん、今年度ベスト最右翼。