不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

デス博士の島その他の物語/ジーン・ウルフ

デス博士の島その他の物語 (未来の文学)

デス博士の島その他の物語 (未来の文学)

 五編+前書を収録。《新しい太陽の書》や『ケルベロス第五の首』は、作者が用意した《世界》を読み取り、読み取ったそれを咀嚼・吟味し、どっぷり浸ることが肝要であった。しかし『デス博士その他の物語』は、物語は《世界》にまで拡大せず、基本的には登場人物の個人的ドラマの枠内に納まる。そこに込められた悲喜こもごも、心の襞に至るまで微細に描出されるそれらが実に印象的であり、ときに感動的でありさえする。
 しかし一方で、難解な側面も相変わらず顕在化している。特に「死の島の博士」「アメリカの七夜」はえげつなく、裏で何が意図されているのかわかったものではない。『ケルベロス第五の首』は、今から思えば比較的平易な小説だったなと思う。
 というわけで、《読書》の苦しみと楽しみを心行くまで堪能できる、素晴らしい作品集。SFファンは必読であろう。
 以下、各編の粗筋を書ける範囲内で。
 「まえがき」には「島の博士の死」という短編を含み、あだや疎かにできない。老教授の必修でも何でもないゼミに、数年ぶりに学生(男1、女1)が入って来る。彼らと共に自宅で島に関する考察をおこなう老教授は、学生にある命題を与える……。いい話だ(目尻が下がっている)。ジーン・ウルフがこの手の作品を書く人だとは思わなかったので、少々びっくりした。
 「デス博士の島その他の物語」は、二人称叙述形式にて、ある少年の体験を描く物語。浜辺で孤独に遊ぶ少年を、彼が読んでいる物語の登場人物たちが訪ねて来る。超普通に接する少年。特にデス博士は印象的で、物語の中では悪役なのだが、少年には非常に優しいおじさんなのであった……。多分これは少年の現実逃避による幻であり、対比されるその《現実》もまた非常に奥床しく描出される。匙加減が絶妙。物語を好きな人間に、このラストはたまらないだろう。
 「アイランド博士の死」は、人工(?)衛星内の、まるで南海の孤島のように作られた精神病院での出来事を、そこに放り込まれた少年の視点から描く作品。島には少年の他に、男と女が一人ずついて、いずれもどこかおかしい。そしてアイランド博士は、島の自然物を通して患者に直接語りかけてくるのだった(海や木や猿が喋ったりします)。海の底の向こうに木星が見えるシーンが幻想的なまでに非常に美しい。そして残酷な治療……。素晴らしい。
 「死の島の博士」。ある種の本の発明者アルヴァードは、共同経営者を殺害した疑いで刑務所に放り込まれる。しかし、癌が見つかったため冷凍睡眠に入り、治療法が確立されてから目覚めることになった。そしてアルヴァードは、40年後、人類が極端に長命化した時代に目覚めるのであった。喋る本に囲まれる主人公。明確なストーリーはあるしそれだけでも楽しめるが、細部が非常に思わせぶりなので、何かあるんじゃないかと気が気ではなかった。でも結局、何もわからなかった……。致命的な誤読をしでかしたのだろうか。個人的感想は、正直微妙であった。
 「アメリカの七夜」は、文明が退行したアメリカを、先進国家イランの若旦那ナダンが訪問する物語。若旦那は失踪してしまい、その手記を、家族から依頼を受けた者が発見した、という体裁を取る。イースター・エッグを七個揃え、うち一個に幻覚剤をまぜ、一日一個食べてゆくのだが、日記の記載は六日分しかない。また手記内でも数が合わないとの記載も見られ、いつ幻覚剤入りの菓子を食べたのか(あるいは食べなかったのか)皆目見当も付かない。ナダンは手記内で色々と冒険することになるのだが、これはそもそも現実なのか幻覚なのか……。何も考えなくとも楽しめるグロテスクな物語だが、いつ幻覚剤摂ったのかを考え始めると終わらなくなってしまう、企みに満ちた逸品。
 そして「眼閃の奇跡」。国民全てを網膜により識別できるようになった、凄まじい管理社会の中を、網膜がないため、この管理制度から弾き出されている盲目の少年が放浪する。正気を失った教育長、教育長に付き従う親切な男、足の悪い少女などに出会う少年……。《盲目ゆえに少年には現実と幻想の区別が付かない》という、凄い設定を十分に活かしきっている作品。もはや神業という他ない。見事に本作品集のトリを務めている、本当に素晴らしい傑作。
 これほどの作家に出会えたことを、私は深く感謝したい。