不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

カンタベリー物語 近習の物語/チョーサー

近習の物語の序

恋を誰にも負けないぐらい知っているんだからと、恋の物語を求め*1られた近習は、恋をよく知っていることについて、そんなことはないと断ってから話を始める。

近習の物語ここに始まる。

というわけで、いきなりチンギス・ハーンにまつわる話が始まる。この物語ではカンビィウスカンと呼ばれる彼には、エルフィータという妻の元に、長男アルガルシフ、次男カンバロ、そして娘カナセーがいた。カナセーは筆舌に尽くしがたい美人だという。

さてカビィウスカンは、三月十五日に誕生の宴会をサレイで行った。その最中、一人の騎士が真鍮でできた馬にまたがり、ガラスの鏡を持ち、親指には金の指輪をはめ、脇には抜身の剣を携えてやって来た。彼は王、王妃、諸侯に挨拶した後、自らの持ち物について以下のように述べる。

アラビアとインドの王である自分の主君が、カビィウスカンの祝宴のためこの馬を贈る。この馬は24時間以内に、旱魃でも大雨でも、王の身体をどこにでも運ぶことができる。それどころか空を飛ぶことができる。そしてピンを回すだけで元に戻って来る。

一方、鏡には、どんな逆境が降りかかるか、誰が友で誰が敵か、貴婦人が思いを寄せる人の不実や裏切り、策略などを見せる。指輪は、はめるか財布に入れるかすれば、鳥と会話ができるようになるし、草の薬効もわかるようになる。剣は、どんな甲冑も切り裂く一方、剣の平で打てば剣で付けた傷は消える。なお指輪はカナセーに名指して贈られ、他はカンビィウスカンに贈られた。

人々は口々に、これらの秘宝の美しさ、不思議さを賞賛し、ああだこうだと品定めした。一方、これらをもたらした騎士は宴に参加し、カナセー姫と共に踊りの中に加わる。やがて夕餉時、カンビィウスカンは馬の操作方法を騎士に尋ねた。騎士は、要所要所は王と二人の時に伝えるとしつつ、その場でも結構細かく説明する。これを受けて、王は夕餉の席から宴会の場に戻り、タカラは塔に仕舞われた。

物語の起または序の部分に当たる。秘宝と騎士により、王宮にどんな変化がもたらされるのかワクワクするが、この第一部は結構長い割に、テーマを感知できるほどには物語はまだ動かない。

個人的には、12世紀から13世紀にかけて生きたチンギス・ハーンに関する物語が、14世紀のイングランドで成立していた事実に胸が熱くなった。この物語の存在は、モンゴル帝国が世界に与えた影響を、100年以上経過した後とはいえ中世内という意味ではほぼリアルタイムで証明している。当たり前だが、世界は繋がっていた。600年以上も昔から、ずっと。

第二部これに続く。

前日の大宴会は深夜まで続き、誰も彼もが九時まで眠りこけた。早めに引き上げたカナセーを除いて。彼女の目覚めの場面に、中世の習慣が表れていてとても興味深い。

それで彼女は最初の眠りが終わると目をさましました。

これが世に聞く、一般的だったとされる中世人の二度寝か! でもカナセーは設定上蒙古人よね? これどう解釈すればいいのだろう。

ともあれ、カナセーが二度寝しなかったのは、指輪と鏡のことでエキサイトしていたからのようだ。彼女は夜明け前に家庭教師を呼び、起きて辺りを歩きたいと言う。十人か十二人の侍女と共に、猟園を歩き回る彼女は、木の上に止まった隼(外国から来たように見える珍しい種類の隼)が悲しげに鳴くのを聞く。隼は鳴くのみならず、翼で自身の身体を打ち付け、嘴で自らの体を突いて悲しみを激しく表し、時々気絶しそうになるありさまだった。

指輪のせいで隼の嘆きの内容をある程度聞き取れており、胸の潰れる思いがしていたカナセーは、遂に隼に語りかける。こんなに悲しい様子は見たことがない、自分を傷つけるのは止めた方がいい、自分は王女だから王女の名にかけて、自分が何とかできる範囲なら助けになろう、だから怪我を治療させてくれ。

隼は失神し落ちて来て、カナセーの着物の袖の中で目を醒ます。隼は、王女を讃し感謝した後、自らの話を始める。彼女――そう、雌なのだ――は、灰色の大理石の岩の中で養い育てられていた。彼女は近くにいた雄の隼を愛したが、彼は外面がいいだけの、とんだ偽善者であった。一二年付き合ったが、雄の隼は、鳶の雌を見てそちらに心を映し、雌の隼に別れを告げて去ってしまったのだ。

自傷行為が凄い勢いなので、隼はてっきり雄だと思っていたのだが、雌だったんですね。これは意外。もちろん、男性がやる行為を女性がやっても、本来は意外に思ってはいけない。しかし中世の話でこれは、興味深いのは確かである。

それはともかく、恋人が別の相手に惚れて振られただけのことを、この隼は本当に長々と喋る。内面的な表現で文章が埋め尽くされており、具体的な事実への言及はごくわずか。感情が千々に乱れ、秩序立った思考ができなくなっていることがよく表現されていると思います。

さてカナセーと侍女たち*2はこの隼に対して悲しみの情を抱いた。カナセーは隼の傷の手当てをし、静養のための豪華な鳥籠を作ってやるのだった。

さてこの第二部の最後に、近習はこんなことを話す。

今のところは彼女の指輪のことにはこれ以上は触れません。その話の語るところでは、わたしがあなたがたに申し上げた王子のカンバロの仲介によって、後悔したこの雄の隼がどのようにして再び彼女の愛を取り返したかをお話しするのが必要になるときまでそれはとっておきましょう。そこでこれから、今までこんな驚くべきことは聞いたことが ないというような冒険や戦いのことをお話しすることにいたし ます。

まずはじめに、わたしは当時多くの都市を勝ちとったカンビィウスカンのことをお話し いたしましょう。その後でアルガルシフがどのようにしてテオドラを自分の妻に娶った か、そのテオドラのために、もし真鍮の馬によって助けられなかったなら、幾度も彼は非常な危険に陥ったであろうということなどをお話しいたしましょう。その後でカンバロがカナセーのために二人の兄弟と馬上槍試合場で闘い、彼女を手に入れることのできた次第をお話しいたしましょう。話を止めていたところからまた始めてまいります。

隼は元鞘なんかい! とまあそれはともかく、この部分は明らかに、続く第三部以降の内容の予告である。面白そうではあるけれど、ちょっと詳し過ぎる。前の話まで、部の最後にこのようなテキストが挟まれることはなかった。なんか変ですな。

第三部始まる。

陽の神アポロがその戦車を空高く駆けめぐらし、かの狡猾なるマーキュリー神の館にのり入れていく……

第三部はこれが全文である。そして第三部で近習の話は終わる。はい、つまり「近習の話」は未完なのです。じゃあ第二部の最後の予告は何だったのか? まさか、こういう話を入れるつもりだったんですが書けなかったんで許してね、という詫び証文のつもりだったのだろうか? あそこまで概略が書いていたら、勝手に補筆完成版を書く作家が後世いくらでも出て来そうなものだが、そこら辺どうなんでしょうか。

また、この一文は、登場人物としてアポロやマーキュリーが出て来たわけではない。よくわからないし今後わかるようになるつもりも正直ないので今まで書いてこなかったが、『カンタベリー物語』では、占星術的・十二宮的なあれやこれやが行ったり来たり……という表現が、時間や日時を表徴するために多用されている。これはそれに該当すると解釈すべきだ。つまり、第三部は実質的に、「○月のある日の○時ごろ」ぐらいのことしか書かれていないのである。

ここに近習に対する郷士の言葉、また宿の主人の郷士に対する言葉続く。

郷士は話を終えた近習に「近習君よ」と呼びかけて、上品、知恵がある、若いのに感じが籠っていて立派だと褒める。それに比べて自分の息子ときたら、と長々と愚痴り始めた。あいつは気高い上品さを学ぶ気がないという趣旨のことを言った辺りで、宿の主人が割って入る。

ああ、お前さんのその気高い上品さとやらには藁でも喰らえだ!

糞喰らえではない点には留意されたい。微妙に表現が違うので、この悪罵のニュアンス、程度が私にはよくわからない。糞よりは藁の方が柔らかいのか、親愛度が高いのか、それとも同程度なのか。

ともあれ、宿の主人は郷士に、話を一つか二つするという約束事を思い出させる。郷士は、それは知っている、この若者に一言二言話した*3からといって、と不満げだが、宿の主人は「つべこべ言わないで」と話を急かす。そして郷士は話を始める。

というわけで、次は郷士の話である。

総評等

この近習の物語、表現上のぜい肉がとても多い。ストーリー展開にはあまり影響しない(まだ書いていない場面に影響させるつもりだったのかもしれない)台詞や情景描写がとても多く、ページ数が膨れ上がっている。それを表現上の技法として肯定的に捉えるべきか、語り手である近習の未熟を表現していると解釈すべきか、私には判断が難しい。個人的には嫌いじゃないのだが。

*1:誰が求めたかは記載されていない。これまでの実績からすると宿の主人だが、近習は騎士の息子であり、それにしては少々言葉が砕けている気がする。

*2:隼の言葉を理解できるのは、指輪をしているカナセーだけのはずである。侍女たちはどうやって隼に同情したのか? まさかカナセー姫が、侍女のために、一々通訳の労を、それも同時通訳に近い労を、取ったのだろうか?

*3:どこからどう見ても、一言二言なんてレベルではない。宿の主人が止めないと延々と続きそうであった。