不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

ギュンター・ヴァント/北ドイツ放送交響楽団 シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》

シューベルト:交響曲第9番

シューベルト:交響曲第9番

Amazon

 1991年4月21日〜23日、ハンブルクのムジークハレでのライブ録音。
 基本的な解釈はケルン放送交響楽団の時と変わっておらず、特にオーケストラ全体のバランスに関しては細部に至るまで拘り抜いている。ただしこちらの方が遥かに精密な演奏となっていて、音楽全体の流れはより滑らかである。各パートの出す音も美しく、聴感上の違いは相当なものだ。これは解釈が深化したからでもあろうが、最大の要因は、オーケストラが変わったからであろう。北ドイツ放送響の方がほとんどありとあらゆる面で、前回のケルン放送交響楽団よりも質が上である。
 改めてヴァントの解釈の特徴を述べると、感情表現それ自体は控えめであり、具体的な喜怒哀楽をメロディーに乗せて歌う、みたいなことは全く許されていない。代わりに、精妙なパートバランス制御によって音色を変化させ、そこでニュアンスを生むといった手法が採用されている。テンポも楽想に沿って微妙に動かしている。こういう芸風は、ちょっと迂遠で面倒くさいもののように思うのだけれど、瑞々しさが損なわれていないどころか、ケルン盤と比べてもアップしていて興味深い。
 面白いのは、終始音楽が冷静であることだ。熱気が感じられず、テンションは高くもなければ低くもない平常状態を保ち、音楽前甲斐は指揮者によって冷徹に管理監督されている。パッションに加えて、スケール感もさほど出していませんけれど、ヴァントの関心事項は恐らくそこには全くない。いかに精妙に音楽を制御して、楽団員の自主性に全く頼らずに細部のニュアンスを出すか*1という茨の道にひたすら邁進している。そしてそれは十分な成功を収めた。驚くべきは、この録音がライブで為されているということだ。実演ではどうしてもオーケストラは、特に楽曲後半では熱が入ってしまうし、指揮者の統制も緩む可能性が高まるのであるが、ヴァントと北ドイツ放送響はどこ吹く風と、自分たちが為すべきこと(とヴァントが決めたこと)にのみ注力している。結果、時々、夢見るような雰囲気や、今にも消えてしまいそうな儚げな雰囲気が漂う。この演奏の魅力は、なかなか忘れがたい。

*1:自主性を許さない、とイコールではないことに注意されたし。楽団員によるプラスアルファは認めつつも、それがなくてもニュアンスを出せるようにする、ということである。