不壊の槍は折られましたが、何か?

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ゲオルグ・ショルティ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》

Symphony 9

Symphony 9

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 1981年6月、ソフィエンザールでの録音。
 ショルティウィーン・フィルとしっくり行っていなかったとされるけれど、それは一旦忘れて、ショルティウィーン・フィルが具体的に何を為したかを聴いてみました。聴き始めてすぐにわかるのは、この演奏が大変引き締まったものであることだ。リズムは軽快、表情は爽快、ハーモニーはすっきり、フレージングはやや鋭角的で、表情付けはシンプル、進行はきびきび、そしてザッツはぴったり合っている。これは紛れもなくショルティの音楽だ。第二楽章も含めて、儚げな風情というのはほとんど見られない。どこまでも明快で曖昧さがなく、はきはきした音楽。だが同時に、大変にエレガントでもある。下品/露悪的になることは絶対になくて、純粋で澄んだ音楽が流れていくのである。晴れた日に河の上流を眺めているような感覚、とでも言っておこうか。ウィーン・フィルの音色も美しく、カットされたダイアモンドよろしく、随所でキラキラ光っている。反面、シューベルトの旋律線の、明るいのか暗いのかわからない揺らぎはほとんど再現されておらず、形こそ滑らかだが触るとパリッと乾いている演奏ではあり、それを問題視する人はいるかも知れない。しかしこの演奏はエレガントだ。百貨店の服飾売り場やら高級ブランドショップに行って感じるようなエレガンスではあるかも知れないが、これはこれで価値が高い。そして忘れるべきでないのは、この演奏が非常に引き締まったものであるということだ(大事なことは二回言ってます)。45分以上の演奏時間にもかかわらず、緩んでいる瞬間が全くない。オーケストラが奏でる音楽をここまで引き締めるのには結構な手間なはずで、ショルティウィーン・フィルの努力と能力には頭が下がる思いである。もちろん、ウィーン・フィルにとってこれはいつものやり方ではなく、音楽をここまで引き締める必要はないと思っているのかも知れない(余情もなくなっちゃいますしね)。だがこれはこれで面白いやり方だ。余情がないことに物足りなくなる瞬間は正直あるけれど、代わりに硬質な美音をとことん堪能できる。演奏家同士の相性や感情はどうあれ、この《グレイト》はショルティの業績の一つとして記憶に止められるべきだと思います。
 購入した2枚組のもう1枚には、同じくウィーン・フィルとの1984年9月録音の《未完成》と交響曲第5番が入っている。エレガントな演奏ぶりは同じである。《未完成》は遅めのテンポ設定で、粘らないけれどしっかりメロディアス。第5番もキリリとスマートに引き締めつつ、典雅な趣を忘れない。いい仕事だ。