不壊の槍は折られましたが、何か?

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シャンドール・ヴェーグ/カメラータ・アカデミカ・ザルツブルク シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》

amzn.to
 1996年3月26日〜28日、ザルツブルクのモーツァルテウムでの録音。セッションかライブかは所有するCDに記載なしだが、多数のミスが修正されず残っていることを考えると、ライブの可能性が高いと思う。セッションでこのミスの多さだったら……まあ頑張れとしか言いようがない。
 さて演奏内容であるが、一言で言って素朴だ。素朴と言っても色々あるが、萎びた(よく言えば鄙びた)音色を持つ合奏能力の低い楽団が、昔気質の指揮者の指示に積極的(←ここが一番重要)に従い、しっかりかっちり演奏を組み立てた、という意味合いにおいての「素朴」である。序奏で指揮者は遅いテンポと大きなスケール感を要求しているが、弦の人数が少なくて響きは薄く、おまけにそれほど上手くないこのオケでは、指揮者の要求した枠の中身をみっちり詰めらない。だが能う限り頑張っている。この頑張りは見ていて気持ちの良いものであり、これが演奏全体の印象に直結する。逆に言えば、んな頑張りどうでもいいんだよ音楽は結果だろ結果、という人にこの演奏は魅力的に映るまい。あ、断っておきますが、致命的に下手というわけではないので誤解なきよう。ローカル色あふれる演奏を聴きたい人には、この音盤はなかなかいいんじゃないでしょうか。
 その他の点では、フレージングに関して指揮者が個性を見せているのが演奏の特徴である。ロマンティックで流麗な歌い込みはあまり見られず、弦楽四重奏辺りでよく見られるような、アンサンブルを重視しての小気味よい切れ味のフレージングが頻出する。指揮台に立っているのが誰なのか実感させられるようで、なかなか興味深い。
 カップリングは《未完成》。なお私が買ったCDは2枚組であり、もう1枚には交響曲の第5番と第6番が入っている。それらは《グレイト》と違って、オーケストラの機能性の低さがそれほど目立っておらず、スケール感があまり出せていないことも、さほど気にならない(このことは《グレイト》のシューベルトにおける異例さを表している)。このコンビの田舎くささを、良い意味で堪能できると思う。なお、ヴェーグが随所で施すなかなか特徴的なフレージング処理は、第5番と第6番でより決まっております。