不壊の槍は折られましたが、何か?

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ヴィレム・メンゲルベルク/アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》

 1940年12月19日、たぶんコンセルトヘボウでのライブ録音。この時期ということは、まあそういうことです。
 迫力満点の演奏である。当然録音状態は年代相応であり、低音もごもごで強奏部では音割れが頻発するのであるが、やっていることは一応わかるので、ステレオ・セッション録音の1960年のシューリヒトよりは百倍マシである。テンポ設定やアーティキュレーションに鑑みると、実際にかなり情熱的な音楽が流れていることは間違いない。
 朗々と歌わせる箇所も結構ある(シューベルトの息長い旋律線への配慮か?)ものの、基本的には速めのテンポ設定が為されている。序奏部とかこの時代の指揮者としては例外的な速さではないか。そして総奏はこの序奏部からして非常に壮麗かつアタックが激しい。これにはティンパニが目立つ録音バランスも影響しているかも知れない。主部への移行はまるで煽るかのようであり、基本的には綿密な事前計算に基づくメンゲルベルクにしては素の情熱を出している(ように錯覚させられるのだろうか?)。その後はアゴーギクが多用され、場面々々の楽想によってテンポは目まぐるしく伸び縮みするのだが、テンションは終始高めに維持されており、先述の通り基本テンポが速いこともあって、嵐のように一気に駆け抜ける。第一楽章のコーダでは、序奏主題再帰の直前でテンポをぐっと落としつつ、序奏のテンポ設定が速めゆえその再帰部自体ではむしろ加速しているように聞こえるのはなかなか面白い。第二楽章はさすがに旋律をクローズアップしてロマンティックに始めるものの、音が大きくなると途端にパッションが前面に出て来てテンポも速まる。この楽章では、動と静の対比が非常にはっきりしていて面白い。第三楽章は基本的に第一楽章と同じことが言えるけれど、さすがに同じリズムを繰り返す音楽だからか、アゴーギクは控えめだ。もちろんトリオではそんなことは言っていられないわけであるが。そしてフィナーレは凄い勢いと迫力、そしてアゴーギクアーティキュレーションの秘術を凝らして、壮大さと随所の旋律美を両立させようと奮闘している。
 全体的に弦のアクセントが結構きつめなのも特徴である。これが、この演奏に煽るかのような情感が溢れている主因だろう。打楽器も金管も鳴る時は盛大に鳴り響いている。まさしく大交響曲として造形された《グレイト》であり、初期ロマン派として可愛く演奏してやろうなんて気配は微塵もない。1945年までは一時代を誇った大指揮者の個性が刻まれた、熱い演奏である。
 なお、楽章の始まりでカカッと何かを叩くような音が入っているのが特徴。メンゲルベルクのライブ録音では、楽章間のチューニングと共によく聴かれるこの音、もしかしてメンゲルベルクが譜面台を叩いて「おいお前らそろそろ始めるぞ」と合図しているのだろうか。現代の指揮者がこれをやると、オーケストラから総スカン喰らうだろうなあ。