不壊の槍は折られましたが、何か?

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シャルル・ミュンシュ/ボストン交響楽団 シューベルト:交響曲第9番ハ長調《グレイト》

 1958年11月19日、ボストンのシンフォニー・ホールでのセッション録音である。既にステレオ録音な辺り、さすがはRCA原盤。
 第一楽章の序奏はこの世代の指揮者にしては速め――だと思っていたら主部はもっと速かった。要はテンポ設定そのものが快速だったということである。で、その速いテンポを用いて、ミュンシュは驚くほどパッショネートな演奏をやってのける。リズムは前のめりな上に「リズムを刻む」こと自体にさほど重きを置いておらず、第二楽章で顕著なように、リズムを推進力を生み出す要素と割り切っている(あるいはリズム自体は流しちゃう)のが特色だ。そして音量やテンポ、そして音響バランスの諸点からドラマトゥルギーを最大限に引き出す。ミュンシュらしいと言えばミュンシュらしいし、アメリカにはトスカニーニという偉大な前例があるとはいえ、しかしそれにしてもシューベルトでここまでやるか、というぐらい剛毅的な演奏である。ここで意外なのは、《グレイト》の緩徐楽章ですら、この解釈に完全対応できるということだ。第二楽章は寂しげな歌がどうこうなどとよく言われるし、事実私もこのブログでその前提に立っての感想を書き散らして来たわけだが、一方で実はかなりリズミカルな音楽であることも間違いない。よって、ミュンシュのようなダイナミズム重視路線でも違和感は出ないのである。
 活力に満ちた情熱的な演奏は、喜怒哀楽のうち確実に怒の範疇に入るものであるが、しかし同時にカラッと乾いてもいて、結構ブチ切れているけれど後には引かないだろうな、という感触である。だから随所で爽やかですらあったりするのだ。これにはボストン交響楽団の影響も大きい。アメリカのオーケストラだから――かどうかはもちろん定かではないもの、奏者が独自判断でニュアンスを散らすことがあまりなく、音色自体はプレーンなので、ミュンシュの感興に変な色や粘りを付けないのである。そしてシカゴ交響楽団と同じく、皆さんべらぼうに上手い。この急速テンポと指揮者の煽りにもかかわらず、よくもまあ余裕綽々に弾けるものだと感心する。よって、演奏は情熱的でありつつ、切迫感が薄い。ここら辺は好悪を分けるかも知れないが、私はこれはこれでアリだと思う。なお切迫感云々は、当時のまだ発展途上なステレオ録音の責任である可能性がある。音像は非常にクリアで、伴奏部で何をやってるかもはっきりわかるけれど、雰囲気をどこまで拾い上げられているかは心許ないのです。