不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

マークスの山/高村薫

マークスの山(上) (講談社文庫)

マークスの山(上) (講談社文庫)

マークスの山(下) (講談社文庫)

マークスの山(下) (講談社文庫)

「俺は今日からマークスだ! マークス!いい名前だろう!」――精神に〈暗い山〉を抱える殺人者マークス。南アルプスで播かれた犯罪の種子は16年後発芽し、東京で連続殺人事件として開花した。被害者たちにつながりはあるのか? 姿なき殺人犯を警視庁捜査第1課第7係の合田雄一郎刑事が追う。

 再読だが、前回読んだのはハードカバー版である。
 で、粗筋は全くこの通りなのだが、それではとても言い尽くせない豊饒な、しかしとても荒んだ*1物語が展開されている。社会派よろしく深く鋭く社会問題に迫るわけではないし、強烈なドラマトゥルギーを有するわけでもない。登場人物個々人の心理の動きを詳らかにしはするのだが、安易な感情移入をどこかで厳しく拒んでいるような風情がある。心理はリアル、捜査はリアル、言動もリアルで、筆致はあくまで硬派を貫いている。作者の意識が最初から最後まで、そして細部に至るまで覚醒し切っているのが最大の特徴と言えるだろうか。同情も反発も不要、作品内の全てをただその目に焼き付けよ作者の私のように、と作者が読者を叱咤しているかのようだ。
 最後に浮かび上がるのは、事件の悲劇的または皮肉な構図と、マークスの心の闇である。しかしそれは読者の感動や涙、喜怒哀楽を直接は喚起しない。深沈たる強い実在感を残して物語は終わる。実質的な主人公である合田刑事自身の物語がそれほど強調されていないので、この感触は一層強まっているのだろう。印象的なのは結局人間ドラマではなく、それによって織り成された事件だったというわけ。……私だけかも知れないが。なおその構図も、ミステリとして新鮮であるわけではない。しかしミステリ読み*2ならば分厚くまとっているはずの、大抵のものなら娯楽として楽しんでしまう装甲の間隙を縫って、忘れがたい苦さや虚しさを残すことは確かなのだ。こういう、いい意味で煮ても焼いても食えない小説は充実感が比類なく、読み応えたっぷりだ。なるほど娯楽小説というよりは文学といったほうが相応しいということだろう。
 外形は一応警察小説・刑事小説なのでそこを取っ掛かりにして読み始めるのも構うまいが、最終的には全く違う読み方を要求される。それが『マークスの山』である。

*1:登場人物の生活が荒んでいる、という意味では全くないので要注意。

*2:謎解き小説に限らず、警察小説やハードボイルド、社会派なども広く拾った概念だと思し召せ。