不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

照柿/高村薫

照柿(上) (講談社文庫)

照柿(上) (講談社文庫)

照柿(下) (講談社文庫)

照柿(下) (講談社文庫)

 ホステス殺害事件を追う合田雄一郎は、電車飛び込み事故に遭遇、轢死(れきし)した女とホームで掴み合っていた男の妻・佐野美保子に一目惚れする。だが彼女は、合田の幼なじみの野田達夫と逢引きを続ける関係だった。葡萄のような女の瞳は、合田を嫉妬に狂わせ、野田を猜疑に悩ませる。

マークスの山』から一転し、本書は合田自身の物語でもある。しかも意味不明な劣情がらみ。粗筋では「一目惚れ」ということになっているのだが、実態は「人妻の艶めかしい肢体が脳裏から離れません!」というもので、自分は一体どうしてしまったのだと困惑している。恋という微笑まく可愛い感情でないのは明らかで、より下劣で肉欲に満ちた、しかしだからこそ強烈なものになっている。そして一方で、本書はベアリング工場の工員である野田の物語でもある。彼もまた、美保子に惹かれ、不倫に走るのである。上巻の一つのクライマックスは、合田と野田が大阪で久々に再開し一緒に飲んだ後、美保子のことでいきなり殴り合いの喧嘩を始めてしまうことだ。こう書くと、『照柿』はまるで魔性の女の話のようだが、事はそう単純ではない。
 合田や野田が美保子に拘泥するのは、美保子が魅力的だからではない。彼らは二人とも仕事や私生活でストレスをため込んでおり、倦怠感や疲労感に蝕まれている。もっとも合田の場合は、彼の立場が若干特殊(学者との結婚が失敗してのバツイチ+職業は刑事)なので読者の多くが感情移入し切るわけにはいかないだろう。しかし野田は、仕事上のやるせなさと世知辛さ*1、家庭での妻子からの疎外など、より一般的かつ親近感抜群のストレスに晒されている。多くの読者が「こうはなりたくない/なりたくなかったけれど、それでもわかってしまうんだよ!!!!」という心からの叫びと共に、首をぶんぶん縦に振ってしまうのではないか。おまけに舞台は、うだるように蒸し暑い日本の夏。そりゃあ精神が融けてしまいますよね。
 はっきり言おう。合田と野田のドラマは、どちらもグダグダである。だがそのグダグダっぷりはあまりにも緻密かつ綿密に、そして一切の感傷を排して描き出される。心理の推移をわかりやすく整形する/一部を省略するといった「絵空事」を厳しく拒んでいるため、我々読者は、今とてつもなくリアルな小説を読んでいるとの実感を得ることになるだろう。グダグダだが笑えない。だれない。強い緊張感と深刻な雰囲気を湛えたまま、物語はクライマックスに向かってじっくり進んでいくのだ。
 ミステリ的に読めば、本書は、野田という男が犯罪を犯すまでを描く、心理に比重を置いたクライム・ノベルということになるだろう。しかし娯楽小説的読解だけでは辿り付けない深奥を、『照柿』は間違いなく持っている。たとえば、合田と野田を対比することで、三十代後半の男の不安と危機をより鮮明に出ているのはその一例だ。この作家はミステリを越えて評価されているが、それも当然。歯応えのある小説を読みたい人は、必読である。

*1:経費節減のせいで、ラインの補修や能力増強工事など、本当にやるべきことが全然できないが、それを黙って受け容れざるを得ないなど。メーカー勤務ならずとも、ここはサラリーマン全員が涙ながらに同意しそうなところではないか!