不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

眩暈/ボブ・ショウ

 個人持ちの飛翔機械(反重力装置)が普及し、大西洋も一人でひとっ飛びが当たり前という時代になった。イギリス人刑事のロバート・ハサンは、任務遂行中に事故を起こし、そのトラウマから飛翔機械が使えなくなってしまう。彼は療養を兼ねてカナダに向かい、同国の刑事アル・ウェリーの家で世話になることになった。ハサンは滞在中、アルやその内縁の妻メリー、そしてアルの息子で視覚障害を持つ少年テオとの親交を深めていくが……。
 暴走族めいたちんぴらたち(暴翔族といわれてる)が高層ビルに立てこもるというのが全編のクライマックスで、登場人物には危機や悲劇が降りかかる。しかしいずれも、スケールは小さい。それらは少なくとも作品世界を揺るがすような大事件ではないし、そもそも中盤まではイベント的なことは何も起きない。中心に据えられるのは、飛翔機械を使えなくなった主人公の屈託と、受け入れ先のウェリー家の近所で次第にトラブルの予感が高まっていくことである。また心象面では、それぞれ違う理由で飛翔機械を使えない、主人公と盲目の少年の交流が目立つ。前者は心因性なので飛翔機械を避けるのだが、後者は視覚障害のためなので、できることなら飛翔機械を使ってみたいと感じている。同じ「使えない」でも本人の気持ちは随分違う。ここに、主人公が滞在を通してレクリエーションされていく理由の一端が垣間見える。いずれにせよ、物語としてはかなり地味である。読み応えはあるのだが。
 既訳5作品中でも一番娯楽小説っぽくない『眩暈』が、同じく5作品中で一番長い――と言っても260ページだが――というのは、ボブ・ショウを考えるうえではなかなか興味深い事実である。ここで「興味深い」とのみ表現し「重要である」などと言わなかった理由は、この5作品だけで作家特性を断定的に解釈するには情報量が足りないと感じるからだ。この作家もっと紹介してくれよ面白いってばさ。
 個人的な所感だが、ジャンル意識の強い読者は『去りにし日々、今ひとたびの幻』を、純文学などを読みつけていてジャンル意識も強くない読者は『眩暈』を、それぞれ最高傑作に推すように思う。当然おすすめである。