不壊の槍は折られましたが、何か?

ミステリ書評家のブログのはずだが……。

TOKYO YEAR ZERO/デイヴィッド・ピース

TOKYO YEAR ZERO

TOKYO YEAR ZERO

 1945年8月15日、正午前。東京・芝の軍需工場で女性の腐乱死体が発見された。その1年後、またもや女性が死体発見される。誰が何のために? 三波刑事らの必死の捜査が始まるが……。
 プロローグでは1945年も舞台になるが、大半は1946年夏の東京で進む。モチーフは、実際にあった小平義雄による連続婦女暴行殺害事件である。ほとんど最初から最後まで刑事の殺人事件捜査を描く……のだが、全編あまりに不穏な瘴気が立ち込め、どう見ても普通の小説ではない。何というか、本書の属性は確実に闇。とにかく闇。真っ暗なのである。しかも強烈に猥雑。地の文も非常に特徴的である。適当に開いたページの適当な箇所を引用してみよう。発見された死体を解剖する部屋へ主人公が向かうシーンである。

 エレベーターが止まった。ドアが開く――
 再び明かりが見えた。おぼろげな。地階はエレベーターよりそれほど明るいわけではなかった。おぼろげな光の中、おぼろげな存在が動く。わずかな裸電球に人間と虫が磁石のように引き寄せられていた。おぼろげな存在。人々はワイシャツ姿で、あるいはシャツ一枚で働いていた。虫どもはその汗に、肌に、肉に、骨にたかっていた。おぼろげな光の中。この廊下と部屋の迷宮で。死者の来るこの場所で。タイル張りの流しの壁。死者の暮らす場所。傷や穴に関する注意書き。おぼろげな光の中。病棟勤務員が手や腕を何度も洗い、すすいでいた。ここで。地下で……
 解剖室は廊下の右、霊安室の向こうにあった。われわれのためにスリッパが用意されていた。部屋はガラスのドアの向こうにあり、爆撃に備えたテープが貼ったままになっていた――
 彼女が今来る。彼女が来る……

 太字はママである。さすがにこんな箇所ばかりではなく、一応普通に登場人物が会話し、動く場面の方が多い。しかしそんなシーンでも、一々太字のような部分が挟まれるのである。何だこれは? 何なんだこれは?
 叙述形式は一人称だが、太字部分が主人公の意識の細切れ、それ以外の部分が通常の一人称小説の地の文に該当する……ような気がするものの、ご覧のように一概にそうとも言い切れない。ただこれだけは言える。この作品は随所で、意識の細切れがかなりの頻度で文章に紛れ込んでくる。結果、主人公の脈略の有無すらはっきりしない情念が物語に充満し、かなりの異色作になっている。
 無理矢理ジャンル分けすれば、本書はノワールということになろう。しかし、その中でも明らかにかなりイってしまった部類に入り、主人公がその内に秘める狂気、倦怠、鬱屈がビリビリ伝わって来る。彼がいつ本格的に「あっち側」に転ぶのか(それとも踏み止まるのか)、最初から最後まで全く気が抜けない。しかもこれは、犯人側の視点ではなく、捜査側の視点で起きるのだ。
 舞台が1946年の東京であるという点にも注目したい。敗戦・占領により混迷の度合いが深まった当時の日本社会、そして、焦土の中から回復しつつもそれゆえに混乱の渦中にあった大東京、これらは「国破れて山河あり」などというありがちな感傷を撥ね付ける。生きるため、人は何かに噛り付き、何かをかなぐり捨てることを要求される。戦前の日本的価値観が否定・破棄され、そしてそこに現れたGHQが空襲で焼け爛れた社会に大変動をもたらす。日本社会を構成していた全ての者は翻弄されるしかなく、取り澄ました詩的感傷が介する余地など一切ない。そしてこのような状況に息が詰まれば……当時の東京に溢れていた混沌に身を委ねるしかないではないか!
 そう考えると、暗黒の醸成舞台として、これ以上に最適な時と場所は他に探すのが難しい。デイヴィッド・ピースは現在東京在住だが、それだけでは全く済まないような緻密な取材を通して、1946年の東京を生々しく作中に現出せしめている。
 そして終盤に、ミステリ的な仕掛け(そう、あるんです!)が炸裂する。何が起こったのか、すぐにはわからない人もかなり出て来るだろう。しかし心配召さるな。編集部による解説がかなりの部分を詳らかにしてくれる(ゆえに解説は必ず本編読了後に読むこと)。それを咀嚼した後、また頭から読み返せば、ヒントが散らばっていたことがわかるだろう。
 先述のダークな情感の醸成と合わせ、本書には作者が適当に流した部分など一箇所たりともない。渦巻く情念と混沌が全てを支配しているように見える。だが明らかに、ある一点を目指して収斂する小説である。終わってみれば本書の完成度は極めて高く、私は打ちのめされてしまった。
 というわけで、極端な小説・過剰な小説が好きな人にはたまらないのではないか。本ミステリ年度*1を代表する傑作である。デイヴィッド・ピースに今何が起きているのか。なぜ文藝春秋専用サイト(音が出るので注意)を作るほどこの作品をプッシュしているのか。その答えは、読者各位が本書を読んで見定めるしかない。

*1:先のエントリにも書いたが、11月〜10月を指す造語。各種ベストの期間なんですよね。